明けましておめでとうございます(令和7年1月1日)
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
ご家族皆様方のご健康とご多幸、そしてさらなるご活躍を心よりお祈りいたします。
仏教においても、蛇は「守護」や「智慧」の象徴である一方で、「煩悩」や「執着」といった克服すべき課題の象徴でもあります。蛇の脱皮や再生という特性は、仏教の輪廻や悟りの道に通じる要素を持ち、深い精神的な意味を秘めています。巳年はこれらの教えに立ち返り、自らの内面を見つめ直す良い機会と捉えることができます。
また、ことわざに関連させて言えば、「蛇足」という言葉は、中国の故事に由来します。蛇を描く競争で、完成した絵に足を描き加えたため、蛇ではなくなり失敗したという話が元になっています。このエピソードは、本来不要なものを加えることで本質を損ない、失敗を招くことを戒めた教訓です。 「蛇足」には、「余計なものを付け加えることで、かえって物事を損ねる」という意味があり、物事の本質を見極め、無駄を省くことの重要性を教えてくれます。
※仙台市八木山動物園(八木山動物公園フジサキの杜)の爬虫類館がなくなるというので、あわてて出かけ、堂々とした青大将を描き、長泉寺の応接室に画家の及川聰子先生がヘビの絵を掛けて下さいました。毎日見ていると、白ヘビもやさしいものです。
AI(ChatGPT)に「巳年」「蛇足」について聞いてみました。
巳年と仏教の関連巳年は十二支の「巳(蛇)」に該当し、蛇は仏教とも深い関わりを持つ象徴的な存在です。以下にその関連性を説明します。
- 蛇と仏教の象徴
仏教では、蛇(または竜蛇)は古代インドや東アジアの伝統において重要な象徴とされています。仏教の中で蛇は両義的な意味を持つことがあります。
守護と智慧の象徴
蛇や竜蛇は、守護神や智慧の象徴とされることが多いです。たとえば、仏教の守護神である「ナーガ(龍神)」は、蛇や竜として表現されます。ナーガは仏陀が説法した際に雨を防いだり、仏陀の教えを守ったりする役割を担っています。このイメージは、蛇や竜が地球や水のエネルギーと結びつけられることに由来します。
煩悩の象徴
一方で、蛇は煩悩や執着の象徴ともされています。仏教では、三毒(貪・瞋・痴)のうち「瞋(しん)」(怒りや憎しみ)は蛇に例えられます。蛇が威嚇し、攻撃的になる姿が怒りに通じるためです。このように、蛇は克服すべき感情や煩悩を象徴する存在でもあります。
- 十二天との関連
仏教の十二天の中では、「毘沙門天」が巳年に関連付けられることがあります。毘沙門天は財宝や武運を守護する神であり、仏教徒にとって重要な存在です。巳年にあたる人は、毘沙門天の加護を受けやすいとも言われています。
- 蛇と輪廻の象徴
蛇は脱皮を繰り返すことから「再生」や「変化」を象徴する動物とも見なされます。この特徴は、仏教の教えである輪廻転生(生死を繰り返し新しい命を得ること)や悟りへの道を象徴していると解釈されることがあります。
- 仏教行事や祈願
巳年は蛇に関連した信仰や行事が行われることもあります。特に蛇を祀る神社仏閣では、巳年にちなんだ祈願が行われ、財運や健康を祈ることが一般的です。例えば、蛇を神聖視する寺院や仏像には、蛇が絡みついた像などが見られます。
まとめ
巳年に関連する蛇は、仏教において「守護」や「智慧」の象徴である一方、「煩悩」や「執着」といった克服すべき課題の象徴ともされています。蛇の脱皮や再生という特性は、仏教の輪廻や悟りの道に通じる要素を持ち、深い精神的な意味を秘めています。巳年はこれらの教えに立ち返り、自らの内面を見つめ直す良い機会と捉えることができます。
「蛇足」について
- 蛇足の由来
「蛇足」は中国の故事に由来し、蛇を描く競争で、完成した絵に足を描き加えたために、蛇ではなくなり失敗したという話が元になっています。このエピソードから、本来不要なものを加えることで本質を損なうことを戒めた言葉です。
- 仏教の教えとの関連
仏教では「中道」という教えがあり、これは「極端を避けてバランスを保つこと」を重視します。「蛇足」を仏教的に解釈すると、次のように関連付けられます。
執着の克服
仏教では、無駄な欲や執着を「煩悩」として戒めます。「蛇足」に該当するような余計な行為や欲望は、執着の一種と見なされるため、仏教の理想である無執着(むしゅうじゃく)や無為自然(むいしぜん)を損なう行為と考えられます。
智慧をもって本質を見極める
仏教の教えでは、物事の本質を見極める「智慧」が重要とされています。「蛇足」のように、本質を理解せず余計なことを加えるのは、智慧が欠けている状態といえます。このため、仏教的には「本来の目的や意義を正しく理解し、余計なことをせずに簡素に進めるべき」と教えられています。
- 蛇と煩悩の象徴
仏教において、蛇は煩悩を象徴する動物の一つです。特に「瞋(しん)」(怒りや憎しみ)は蛇の威嚇や攻撃性に例えられます。「蛇足」の話も、執着や過剰な行動による失敗を戒めたものであり、仏教的には煩悩の制御や智慧の実践を示唆しているといえるでしょう。
- 無駄を省く生き方
仏教では「簡素」「無駄を省く」ことを理想的な生き方の一つとしています。「蛇足」を避けることは、仏教の修行における中道や質素の実践とも一致します。たとえば禅の教えでは、日常生活や思考において不要なものをそぎ落とすことが重要視されており、「蛇足」のような行為は避けるべきものとされます。
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