6月14日に思う (令和4年6月10日)
6月14日は師であり父である長泉寺41世天関泰弘大和尚の生まれた日です。父は大正11年(1922年)の生まれですから、存命であれば満100歳となります。ちなみに父が亡くなったのは20年前の平成14年(2002年)のことでした。
百年という年月をどうとらえるかは人それぞれだと思いますが、一つの区切りではあると思います。そう思って、あらためて手許にある歴史年表を見てみたところ、父の生まれた1922年の3年前の1919年にはパリ講和会議(ベルサイユ条約)によって第一次世界大戦が終結し、父が生まれた翌年の1923年(大正12年)9月1日には首都圏に壊滅的な打撃を与えた関東大震災が起こっています。
死亡者数1憶人以上とも言われている1918年から1920年にかけてのインフルエンザ・パンデミック、いわゆるスペイン風邪の世界的大流行は第一次世界大戦に従軍した兵士によってもたらせられたとされていますし、今般の新型コロナウィルス感染症の世界的流行の始まりが2020年初頭からであり、そして今般のロシアによるウクライナへの軍事的侵攻がこの2月末からであることを思うと、不思議な感覚にとらわれるのは私だけでしょうか。加えてこの3月16日深夜に当地を襲った大地震、十一年前の2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災、それに関東大震災との周期的問題なども気になります。
まとまりのない文章になってしまいましたが、父が生きていれば百歳になるということは私も相応に歳を重ねたということになります。あらためて『修証義』第五章「行持報恩」の一節をかみしめながら日々精進を重ねてまいりたいと思っています。
失礼いたしました。
『修証義』第五章「行持報恩」の一節(原文)
※ 徒 らに百歳生けらんは 恨 むべき 日月 なり、悲むべき 形骸 なり、 設 い百歳の日月は 声色 の 奴婢 と 馳走 すとも、 其中一日 の 行持 を 行取 せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の 侘生 をも 度取 すべきなり、此一日の身命は尊ぶべき身命なり、尊ぶべき 形骸 なり。
《かりに百歳まで生きたところで、充実感もなく、ただ生きたというのでは悔いの残る人生でしょう。悲しい 形骸 に等しい生命です。たとえ百年の間、感覚的に楽しい思いをしたところで、意義ある人生とは言えません、しかし、その中の一日でもよいから、仏法に従った生活を行じてごらんなさい。それだけで百歳の一生を行じつくしたことになり、さらに、別の百歳の人生をもう一度充実して送ったことにも匹敵するのです。ですから、今日という日の私のこのいのちは、その上にこそ仏法を顕す尊い身体であり、生命なのです。》(奈良康明『修証義私釈』新塔社、1990年より)


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