宮城県角田市にある、曹洞宗・長泉寺です。いち早く環境ISOを取り入れ、環境活動を推進しています。

     昨年末の「峰のたより」でも紹介させて頂いた「鐘撞き堂が」今月中旬に完成する予定です。既にご存じとは思いますが、山門をくぐりすぐ右手にあります。 

 
    現在、工事は仕上げの段階にあり、中旬には「ミネ幼稚園」のお友だちによって鐘の撞きぞめを行う予定です

   
 
 
   

 
 
※鐘ものがたりの表紙画像をクリックするとPDFファイルを読み込み閲覧が可能です。
 
 
 
 
 

長泉寺住職

 
 

 
 
 
 
 

 
日本画家の及川聡子先生に干支の福うさぎを描いていただきました。(32.5cm×24cm)近寄って見ると、うさぎ特有のもふもふとした温もりと早足の鼓動が聞こえてきそうです。
※及川聡子先生は1970年生まれ。
1993年 東京造形大学造形学部卒業。
1995年 東京学芸大学大学院修了。
2003年 文化庁新進芸術家国内研修員。
現在、仙台市在住です。
 
 
 
 
 

    父であり師である先代のことをHPに記した「6月14日に思う」を掲載してから早や四ヶ月が過ぎてしまいました。。
    言い訳をするようで恐縮なのですが、わが国も多死社会を迎え、このところ長泉寺もご葬儀が続き、夜になるとプシューと風船がしぼむように早めに休むことが多くなりました。ご葬儀のお勤めとくに引導法語はとても神経を使うものなので皆様方の想像以上に疲労をともなうものです。加えて今春3月の大地震による心理的ダメージも知らず知らずのうちに蓄積されているのかも知れません。まぁ一言でいうと、記すのが「 億劫 おっくう 」になっていた次第です。なにとぞご勘弁下さい。
    さて、「 億劫 おっくう 」は『 妙法蓮華経 みょうほうれんげきょう 』の「序品」にあって、仏さまに会うことはきわめてむずかしいことを述べた「諸仏にはだいし、億劫に時に一たびうらん」(多くの仏たちにあうことはきわめてむずかしい。一億の劫という年月の間においても、たった一度会うことができるがどうかであろう)に由来します。
    「劫」とはきわめて永い数え切れない時間を意味し、具体的な定義もあるのですが、それをここで解説するのは野暮というもの、きわめて長い無限の時間とご理解いただければよいかと思います。
    ついつい怠け心から、億劫になって、物事を先延ばし先延ばしにしてしまう昨今の私ですが、出来るだけ諸事先延ばしにしないよう頑張ってみようと思っているところです。とはいえ、これから寒さに向かうとまた億劫になるなぁ~、怠け者の私の格闘はまだまだ続きます。ご容赦のほど、よろしくお願い致します。
    失礼いたしました。
 
《追記》
    「 永劫 えいごう 」=「非常に長い年月」(三省堂『新明解国語辞典』)も「劫」を考えるうえで参考になるかと思います。
 
 
    ※長嶋茂雄選手、引退試合後の挨拶です。
「読売巨人軍は永遠に不滅です」と言うべきところ、「永久に不滅です」と、とちってしまいました。永遠?or永久?に残る迷言となりました。言葉使いは面倒です。
 

長泉寺住職

 

    おはようございます。

    6月14日は師であり父である長泉寺41世天関泰弘大和尚の生まれた日です。父は大正11年(1922年)の生まれですから、存命であれば満100歳となります。ちなみに父が亡くなったのは20年前の平成14年(2002年)のことでした。

    百年という年月をどうとらえるかは人それぞれだと思いますが、一つの区切りではあると思います。そう思って、あらためて手許にある歴史年表を見てみたところ、父の生まれた1922年の3年前の1919年にはパリ講和会議(ベルサイユ条約)によって第一次世界大戦が終結し、父が生まれた翌年の1923年(大正12年)9月1日には首都圏に壊滅的な打撃を与えた関東大震災が起こっています。

     死亡者数1憶人以上とも言われている1918年から1920年にかけてのインフルエンザ・パンデミック、いわゆるスペイン風邪の世界的大流行は第一次世界大戦に従軍した兵士によってもたらせられたとされていますし、今般の新型コロナウィルス感染症の世界的流行の始まりが2020年初頭からであり、そして今般のロシアによるウクライナへの軍事的侵攻がこの2月末からであることを思うと、不思議な感覚にとらわれるのは私だけでしょうか。加えてこの3月16日深夜に当地を襲った大地震、十一年前の2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災、それに関東大震災との周期的問題なども気になります。

    まとまりのない文章になってしまいましたが、父が生きていれば百歳になるということは私も相応に歳を重ねたということになります。あらためて『修証義』第五章「行持報恩」の一節をかみしめながら日々精進を重ねてまいりたいと思っています。、

    失礼いたしました。

    『修証義』第五章「行持報恩」の一節(原文)
いたず に百歳生けらんは うら  むべき 日月 じつげつ  なり、悲むべき 形骸 けいがい なり、 たと  い百歳の日月は 声色 しょうしき  の 奴婢 ぬび  と 馳走 ちそう すとも、 其中一日 そのなかいちにち  の 行持 ぎょうじ 行取 ぎょうしゅ  せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の 托生 たくしょう をも  すべきなり、此一日の身命は尊ぶべき身命なり、尊ぶべき 形骸 なり

    《かりに百歳まで生きたところで、充実感もなく、ただ生きたというのでは悔いの残る人生でしょう。悲しい 形骸 けいがい  に等しい生命です。たとえ百年の間、感覚的に楽しい思いをしたところで、意義ある人生とは言えません、しかし、その中の一日でもよいから、仏法に従った生活を行じてごらんなさい。それだけで百歳の一生を行じつくしたことになり、さらに、別の百歳の人生をもう一度充実して送ったことにも匹敵するのです。ですから、今日という日の私のこのいのちは、その上にこそ仏法を顕す尊い身体であり、生命なのです。》(奈良康明『修証義私釈』新塔社、1990年より)
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

 令和編

 

 
 
 

 平成編
※平成編は下記に年度別に表示出来るようにしました。