宮城県角田市にある、曹洞宗・長泉寺です。いち早く環境ISOを取り入れ、環境活動を推進しています。

  おはようございます
  立秋を迎え、お盆が終わってみたら朝夕めっきり涼しくなり、時には肌寒くさえ感じる今日この頃です。あの猛暑がまるで嘘のようです。
  今年は天気も暑かったですが、高校野球夏の甲子園大会も熱い試合が続きました。とくに仙台育英と東海大相模の決勝戦はどちらが優勝してもうなづける、それほどいい試合だったと思います。
 
 
  さて、8月25日付の河北新報に「甲子園、東北勢なぜ優勝出来ぬ」という特集が載せられており、野球に詳しい5人の識者がそれぞれウンチクを述べていたようです。けれども私は、ひたすら無心になってプレーした高校野球児にとっては何の意味があるのか?、と私はいささか面白くなく拝読いたしました。
  それはさておき、高校野球のもう一つの楽しみは各出場校の校歌が聞けるということです。以前、私の住む角田には角田高等学校(男子校)と、角田女子高等学校がありました。私はその男子校である角田高等学校を昭和47年に卒業しましたが、少子化と男女共学化の波に洗われ、やがて二校が合併し、新しい「角田高等学校」が生まれました。平成17年のことです。ですから、今の新しい高等学校の校歌を私は知りません。同時に私は、私の角田高の校歌を失いました。校歌というのは単に学校の歌ではなく高等学校の3年間の生活が凝縮された人生そのものだと考えています。「臥牛舘内名に高き豊成閣のいしずゑを~」という角田高等学校の歌、あの四拍子の歌を聴くたびに懐かしい同級生の顔やバカなことをした毎日が即座に蘇って来ます。
  大学は山形大学を経て駒沢大学大学院でした。駒沢大学の校歌は北原白秋作詞・山田耕作作曲の名歌です。やはりその歌を聞くと青春の日々が瞼に浮かんできます。早稲田大学には早稲田の、東京大学には東京大学の、慶応大学には慶応大学のそれぞれ名歌とされる大学校歌がありますが、やはりなんといっても我が母校の校歌が一番です。そして自分の母校の校歌が一番と思うのは私だけではないと思います。
  今は少子化でどんどんと小学校や中学校が閉鎖され、自分の母校が消えていこうとしていますが、我が人生の応援歌でもある校歌までが消えることの何と寂しいことでしょう・・・。
 
  ともあれ、やがて20年経ち30年経って、本年の甲子園野球大会準優勝校の球児達が寄り集まって、肩を組み「南冥遥か天翔る~」と校歌を声高らかに歌うならば、彼等の心には優勝や準優勝などという小さな思い出ではなく、『やりきった!生ききった!』という大きな至福感だけが湧き起こるにちがいない。私は強くそう思っている。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
  8月8日は立秋でした。それまで大変な猛暑続きの毎日でしたが、季節とは正直なもので立秋を境にこころなしか涼しくなった気がします。蝉の声に混じって夜には虫の声が聞こえます。
  さて、お盆の頃となりお寺やお墓にはたくさんの方々がお参りに来られ賑やかです。けれども、毎年同じ行事とは言え「同じように」準備し、「迎え火」を焚き、「おまいり」をし、「送り火」に手を合わせることは、なかなか至難のことと思われます。伝統の行事や教えを守り維持するためには、それなりの覚悟と信念がなければ出来ません。
 
 
  例えば、僧堂では毎朝お粥とゴマ塩をいただくわけですが、これを毎日同じように調理するのは大変難しいことです。それには様々理由が考えられるでしょうが、とにかく同じことを繰り返し繰り返し、しかも完全にすることくらい難しいことはありません。これを達成出来る人、それを「名人」とか「達人」と言うのでしょう。
  ある老舗の料亭では、毎朝決まった時間に「ご飯」「みそ汁」「漬け物」「たまご焼き」「焼きのり」だけの朝食を一年365日毎日作らせ、それを料亭の主が食し、出来不出来がないか、ムラなく毎日調理できているかを点検して調理人の技を磨かせる修行を課しているという話しを聞いたことがありますが、それを聞いて私は流石と思いました。
  私のお寺でも毎朝の勤行を欠かしませんが、全く同じに出来ているかと自問すると、自信がありません。
  原子力発電だって人間が作動させるもの、ずっと同じように安全に運転出来るか不安になるのも当然な気がします。
 
  失礼いたしました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
  お寺には、今年3歳半になる雄の柴犬「竹千代」くんがおります。竹千代くんと朝散歩するのは私の役目、夕方の散歩は家内の役目となっています。ですから、私はだいたい朝5時半から6時半ぐらいにかけて毎朝、竹千代と散歩します。お寺のそばに台山公園があるものですから、お寺や台山公園の周辺は散歩する方、ジョギングをする方、ペットを連れて散歩する方、たくさんの方々と出会う場でもあり、時間でもあります。
  ところで私は自分なりにルールを決めており、出会ったら必ず私の方から「おはようございます」の声掛けをするように努めています。けれども向こうから歩いてきた方が「あっ、お寺の住職だな」と思ってコースを変えたり、あるいは挨拶をしてもその返事がない方などもいて、それはそれなりに結構面白いことではあります。
  当然ながら、お互いに声掛けをすると段々に顔が馴染んできて、ある程度の距離になると「おはようございます」「今日は」の挨拶ばかりでなくいろいろな会話を交わすようになり、嬉しくも楽しく思います。
 
 
  ところでペットを飼われている方の中には、おそらく始末をするのを忘れたのでしょうか、山門の側に犬の糞が落ちていたり、お墓の前あるいは道路際にそのまま糞を放置されている人も中にはいるようで、少しこれには困ったことだなと思っています。
  臨済宗の言葉で「トイレに行ってウンチをしたらお尻を拭きなさい」(自領出去(じりょうしゅっこ))という意味の言葉があると聞きました。後始末をきちんとしなさいということです。曹洞宗の言葉にも「ご飯を食べたらお茶碗を洗いなさい」という意味の言葉がありますが、それと同じと思います。
  ペットが糞をして、その糞の始末をしないで主が去っていくとしたら、その糞をしたのはペットではなくて主がしたのだ。その主がお尻を拭かないで帰っていってしまったのだ。そういう意味にもなろうかと思います。ペットが笑われているのではなく主が笑われている。飼い主として笑われないようにしようと思ってペットの糞の始末をしてほしいなと思います。
   「ペットの糞を片付けよう」という市役所や台山公園、お寺の立て看板が目に入らないかなと残念に思います。
 
  失礼いたしました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
   毎週日曜日、夕方の5時から細々とではありますが、日曜坐禅会を行っております。一般の方々を交え約45分ほど坐り、その後茶話会を開いて和やかに開催しています。
  春夏秋冬、それぞれの景色それぞれの季節の音に囲まれて坐禅をするのは気持ちの良いものです。とりわけこれから梅雨の季節を迎え、雨の雫がポチポチと降る中で坐禅を組むのは大変気持ちの良いものです。
  雨期の季節は外で労働が出来ない。また、虫などの生き物を踏み殺すこともある。そこで「雨安居(うあんごう)」と言って一定の期間部屋にこもって坐禅修行することが釈尊の時代からの習わしとなり、この季節こそ坐禅を集中してする時期となりました。(4/15もしくは5/15から3ヶ月)。

  坐禅中姿勢を正し呼吸を整え「調身・調息・調心」と言われるように身も心も正して坐ります。どうしても足が組めない方のためには椅子を用いての坐禅も行っておりますが、なかなかお寺の山門をくぐって坐禅会においでいただく方が増えません。いささか残念でもあり、また主催する自分の力不足というものを痛感しています。
  坐禅中には、巡香という役目の修行僧が、いわゆる「警策(きょうさく)」という棒を持って姿勢や昏沈(こんじん)(仏教で説く煩悩の一つで、「沈んだ心」を指します。)を正してくださるわけですが、一般の方はこれで肩をパンパンと叩かれると思っている方が大部分ですが、警策を用いて打つことはほとんどありません。それは集中して座っている方の妨げ、音による妨げになるからです。
 
  坐禅の経験を積んでいくうちに鎌倉の臨済宗の禅寺に行ってみよう、あるいは旅行中に出会った禅寺にも行ってみたいと、いわゆる昔の武者修行道場破りのように転々と各地の坐禅会に参加したくなる方も居るようです。それはそれでいいかもしれませんが、正師を求める遍参行脚ならいざ知らず、たんなる朱印帳巡りの旅ではどうでしょう?。
  曹洞宗では、何処で坐禅をしたかではなく、誰のもと(正師)で坐禅をしたかを大事にしています。例えば、絵画を見る、あるいは音楽を聴く。それに置き換えてみますと、何を聞いたか何を見たかではなくて、誰と見たか誰と聞いたかを大事にしなさいと言うわけです。正師に随侍して行住坐臥(ぎょうじゅうざが)をともにする。すると正師の生き方、悟りに薫習され啓発されて私も正しい生き方を歩めるようになる。これが禅の教えのような気がいたします。
   私はしがない売僧(まいす)(※意味は辞書で調べてください。)ですが、皆様の正師と頼れる禅僧を紹介することなら出来ます。また、時において正師となるパートナーと出会えた人は人生の幸せ者と言えるでしょう。
  長泉寺の蓮もこれから日毎に蕾が膨らみ、水面に大きな花を咲かせる季節となります。どうぞお寺に足を運んでいただき、ひととき静かな心になって坐禅の中で自己を見つめて欲しいと思います。お待ちしております。失礼いたしました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
  先日、長泉寺のお檀家様をお連れして出雲大社他山陰の旅を2泊3日で旅行してまいりました。飛行機に乗って座席のフリーペーパーを開いてみましたら、牧野富太郎さんの特集がされておりました。
  ご存じのように牧野富太郎先生は高知県生まれで日本を代表する植物学者、または植物分類学者と言った方が良いのかもしれませんが、とにかく子供の頃から野山を歩くのが大好きで一日寝そべって花や植物を眺めていたそうです。そういうこともあったためでしょうか、小学校を中退をして、その後は独学で素晴らしい植物学の大先生になったわけです。
  道元禅師の言葉に「山を愛する人は山に愛される」、そう言う意味の言葉がありますが、牧野先生もおそらく野山草花を愛し、野山草花から愛された先生に違いないと思います。
 
 
  ところでご周知の通り、現在国会では衆議院安全法制特別委員会において集団的自衛権など安全保障関連法案の審議が取り行われています。与党野党、喧喧諤諤の論争が繰り広げられているようです。
   さて、「世界の平和を論ずるためにはまず家庭を平和にすることが大切です」などとこの委員会でお話をするものなら、なんと間抜けなことを言っているのだろうと笑われるのでしょうか・・・。
 
   先の大戦では、僧侶など我が国の仏教者の方々が戦争に加担したということで仏教者の戦争責任について様々な研究がなされましたが、その研究の成果は一体現在どうなっているのか?と自分自身を省みることがあります。それは、私は現在憲法9条を守る会の会員になっており、末席とは言え、名を連ねているだけで平和実現のため何もしない自分自身を少し後ろめたく思っているからです。
  ここで話をまた前に戻しますが、祖国を愛する人は祖国から愛され、また同時に他国を愛する人は他国からも愛される。そのような考えで、世界平和の議論を積み重ねる国会、世の中になって欲しいなと思っています。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
   能登の大本山総持寺祖院、金沢の大乗寺、富山市の光厳寺とお寺の用件で歩いてまいりました。その時にコンビニのおむすびを求めて食べたのですが、値段はこれまでと同じだと思いますが、おむすびの大きさが随分と小さくなったのに驚いてしまいました。これでは3個も食べないと力が出ないと苦笑しました。
  さて明日は幼稚園の遠足です。子供たちがお父さんお母さんと一緒に仙台の「八木山動物園」や「みちのく杜の湖畔公園」に遠足に出かけます。
  お弁当の人気者はやはりお母さんが作ったおむすびです。けれども大学生などは「お母さんが作ったおむすびは不潔で嫌だ、機械で出来たコンビニのおむすびの方が美味しい」。そう言う声が聞かれるのだそうでこれにも驚いてしまいました。
  ご葬儀で、亡くなったおばあちゃんを見送る子供あるいはお孫さんがお別れの言葉や思い出のお話をすることがよくあります。そのお話の中でおばあちゃんの思い出として一番にあげるのは「学校からお腹をすかして帰って来た時におばあちゃんが作ってくれたおむすびが美味しかった。味噌をつけたおむすびがとてもおいしかった」と、お話をするお子さんやお孫さんが多くいます。その時に私は「そうだね、けれどもおばあちゃんはその手が汚れていたかもしれないと思い、一番最初に作ったおむすびは君たちにはあげなかったんだよ。そしてもう一度手を洗って二番目に作ったおむすびを君たちにあげたんだよ」と言うお話をします。
  すると、子供たちはエッと驚きます。このようにお母さんやおばあちゃんも小さな子供さんに食べさせてあげるおむすびにはやはり見えないところで清潔に気を使っていたことを思い出してほしいと思います。
 
   来月は宮城県の6.12防災訓練があります。その時も炊き出しのお母さんおばあちゃん方はマスクをし三角巾をかぶりそしてナイロンでできた調理用の手袋を手にはめておむすびを作ります。それは訓練だから致し方ない事かもしれませんが、とっさの場合はそのようなものがなくても、手そのもので握り締めてくれるおむすびはどんなにか美味しく心の支えになると思います。
  一つのおむすびに込められた色々な思い出を、以前自転車で全国を歩いている火野正平さんのテレビで見ました。『女の子が小さかった時に山に遠足に出かけることになりました。お母さんがいないのでお父さんはお昼の時間にお弁当を届ける約束をしたのだけれど頂上についてもその女の子にはお弁当が届きません。泣きそうになり、心配していると、ハアハア息を切らしてお父さんが駆け上がって来た。そしてみんなとはちょっと離れたところでお父さんと2人でお父さんが作ってくれたおむすびを食べた』という話の番組でした。いいお父さんだなぁと私はちょっと涙ぐみました。
 
 
  千日回峰行といって野山を千日間も駆けめぐる荒行がありますが、その修行僧の命を支えるものは一日たった2個のおむすびだけだそうです。千日回峰行に立ち向かう修行僧を応援する台所当番僧のガンバレという心の支えの魂がそのおむすびにギュッと詰まっているからでしょう。
  おむすびに関するお話をさせていただきました。失礼いたします。
 
 
 
 

長泉寺住職
 
 
奥野 成賢

  皆さんこんにちは
  文章を書くのが苦手で長い間ご無沙汰をいたし、前回の文章を載せてから二ヶ月も経ってしまいました。年度末、年度始め、いろいろな事があって、なかなか筆を持つ意欲が湧かなかったと言ってしまえばそれまでですが、本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません。
  今日は幼稚園の話をさせていただきたいと思います。4月に入園をした子供達がご両親の元を離れ、ようやく幼稚園の生活に慣れたところに連休が入りますと、子供達はまた甘やかされる家庭生活に戻れるという訳で連休後、登園を渋ったり泣いて登園をするお子さんが多くなってしまいます。
  小さい幼児が親元を離れて初めて経験する集団生活の場、そこが幼稚園ですから、幼児が不安になるのも当然です。これはお家、特にお母さんが恋しくて泣くとばかり私は思っておりましたが、そうばかりではないという事をこの頃初めて知りました。
  それは、私が幼稚園に行くとお母さんは「幼稚園でどんな事をしてるのかな?一人で大丈夫かな?」と心配になる。私がいないことで不安になっているお母さんのことを思うと、子どもは逆にお母さんのことが心配になってしまって泣いてしまう、こういう子供もいるのだという事が最近わかりました。
  ですから、おうちの方にはまた登園を渋るのではないか、幼稚園で泣くのでないか、駄々をこねるのではないかと心配顔で幼児を幼稚園に送り出すのではなく、「あなたがお母さんを頼らず自分の力で幼稚園に行ってくれるのは嬉しいよー」と笑顔で送り出して欲しいとお願いをするのですが、やはりお母さん方は心が表情に出てしまって心配顔で送り出す方が多いようです。泣く子の親御さんの方がどうも子離れが苦手のようです。
 
 
   このように、私たちがこうではないかと思っていることが、実はそうではないことが世の中にはたくさんあるものです。
  例えば、様々な理由で部屋に閉じこもっている、所謂、引きこもりの子供達にしても自分の思いだけでどうしてなのかな?と考えがちになりますが、もうちょっと相手の身と心に寄り添って見方を変えるということが大事なのだなと思っています。

   5月は五月病という環境不適応による精神的不安定状態の病気が起こる時季と昔の人は言っておりましたが、それらも見方を変えれば単なる五月病というものではないかもしれません。
  さて、私の住む角田の山や森は新緑の季節を迎えたというのにポツポツとまるで円形脱毛症のように木々が失われています。震災復興のために山を切り崩し、山土をかさ上げ工事のための盛り土にしているからです。震災復旧のためとは言え、この光景は私の心を五月病にさせる何とも残念な光景です。失礼いたしました。
 
 
 
 

長泉寺住職
 
 
奥野 成賢

  おはようございます。
  今日3月11日は東日本大震災発生の日で、あれからもう4年、数多くの方が犠牲となり、そしてまた数多くの方々が行方不明のまま今も見つかっておりません。まことにその衝撃は私たちの心に深く残り、悲しみは今もこれからもずっと消えることはありません。
  宮城県ではこの日を「みやぎ鎮魂の日」と定め、各地各方面で哀悼の誠を捧げております。当長泉寺でもご供養をもうしあげ、多くの犠牲の方々に改めて慰霊の誠を捧げました。
  さて先般、長泉寺のお檀家の方で震災の犠牲になられた方のご遺体が3年10ヶ月目で発見され、ご葬儀をさせていただきました。ご家族の様の心の中には、震災でもう娘は生きてはいないだろうなという諦めの気持ちも少なからずあったと思いますが、結局ご遺族の方々は遺骨が発見された日をご命日と定められました。震災に遭遇したとしてもどこかできっと生きているにちがいない、そういうご自分のお気持ちが発見日を死亡推定のご命日と決めたことに託されたような気持ちがいたします。
 
 
   「天災は忘れたことにやってくる」とか「災難のときには災難に遭うがよろしい」(良寛)のお言葉もありますけれど、真意はともかく、被災された方々には何の意味もなく、むしろ腹立たしくさえ思えるにちがいありません。悲苦の現実を受入、折り合いをつけるのは自分自身でしかできません。それに私たち支援する者がいかに手を差しのべるかが大切なのであり、いろいろな手立てで救われるという事はなかなか難しいことだろうと思います。
 
  悲しい出来事を決して忘れぬよう深く心に刻み、被災された方々との「縁」をつなぎ続けること、これが最も肝要なことと信じます。
 
 

長泉寺住職
 
奥野 成賢

  おはようございます。
   東京に出かけると驚くことが多いです。先日も所用のため東京に出かけ、山手線や都バスに乗ってふと中吊り広告を見ましたら、生きている人間のためのマンションの広告より亡くなった方々を納骨するマンション型霊園の広告が圧倒的に多くて本当に驚いてしまいました。
  マンションというビルは永久的に建っているわけでもないでしょうからビルが無くなったらこの納めたお遺骨は一体どうなるのかな、そんな疑問の目で広告を眺めておりました。企業人はいろいろなことを考えるものです。
  すると、ある学園の入学案内の広告が目に留まりました。その広告の中に、次のような言葉が書いてありこれを読んでまた驚きました。「その一言」という言葉です。その一言で励まされ、その一言で夢を持ち、その一言で腹が立ち、その一言でがっかりし、その一言で泣かされる、ほんのわずかな一言が、不思議に大きな力持つ、ほんの一寸の一言で、というものでした。
  あれ!?と思いました。と言うのは山田洋次監督の大ヒット作映画「フーテンの寅さん」の舞台となる団子屋さんの「とらや」、その電話の上に中国のある僧侶の言葉よりという小さな貼り紙があって、映画好きの方なら誰も気づかれる言葉ですが、その貼り紙の言葉を思い出したからです。文言は次のようなものです。
 
 
  言葉は心。一つの言葉で喧嘩して、一つの言葉で仲直り、一つの言葉で頭がさがり、一つの言葉で笑いあい、一つの言葉で泣かされる、中国のある僧侶の言葉より
 
 
  募集広告とフーテンの寅さん、この二つの言葉がすごく似ており、私はフームと思いました。早速帰りまして調べてみたところ、この学園のほうの言葉は1966年の4月1日に学園の創始者がお作りになられて、学園の入り口の記念碑彫られてあるということがわかりました。
 
  フーテンの寅さんのほうは「中国のある僧侶の言葉より」となっておりますので、なんとなく古いような気がいたします。まあ似通っているだけで二つのこの言葉には関係がないのかもしれませんが、私は何となく、いまも不思議な気持ちでおります。
 
  また、この中国のある僧侶の言葉とありますが、一体どのお坊さんの言葉であるか調べてみたのですけれど、私には出典がわかりませんでした。ともあれ、この中国のお坊さんの言葉を私は大きく書いて幼稚園の先生方に1枚ずつ配り、お部屋に貼って保育の心構えの一つとさせています。
 
 
  なお、今日の私の話に関連して、臨済宗妙心寺派實相寺公式サイトに、「ひとつの言葉で喧嘩して」があります。参考にどうぞ・・・。
 
 

長泉寺住職
 
奥野 成賢

  おはようございます。
  最近、とみに視力が低下して困っております。先日検診をいたしました。今までは左右眼鏡を使用して1.0と1.0でした。ところが、今回は左目だけが0.6まで低下して非常に驚き、自分もがっかりしております。さっそく眼鏡を新調と言うことになったわけですけれど、実は昨年の春からこれで三度も眼鏡を取り替える羽目になっているのです。
   視力が低下していちばん困るのはお風呂に入った時です。お風呂にあるボトルに入ったシャンプーとかリンスとか、そういうもの、もちろん私は頭を剃っておりますのでリンスなどには縁がありませんが、そのボトルに表示されている字を読むことができません。眼鏡をかけて入浴される方もいらっしゃるかもしれませんが、大体は眼鏡を外してからお風呂に入るのではないでしょうか?。ですからこのボトルにいったい何が入っているのかわからないと言うことで苦労します。
  それから、まあいわば色々なそういう小さな字、これが読めなくなってきて、目に老人に優しい表記とか言う言葉が本当に身にしみて感じられるようになりました。
 
 
  僧堂においては、これは節電というか何と表現したらいいかうまく言葉で言い表せませんが、とにかく照明が暗いです。御本山では3時あるいは3時半に起きて暁天坐禅に参りますけれど、本当に暗くて長い廊下を歩きます。また坐禅堂も暗く、暁天坐禅が終わり、ご本堂で朝課のお勤めをする場合の照明もなかなか薄暗い状態で、そういう環境に慣れているものですから修行僧にとりましては、世の中はうすぼんやりした明かりというのが当たり前だと思えて来ます。
  けれども、若い修行僧にも眼鏡を多く使う人が増えてきました。そしてフレームですけれど、仏様には金属は無礼に当たると言う理由で、例えば永平寺では黒いプラスチックのフレームの眼鏡を使うことが定番になって居るようです。
 
  方丈さん照明を明るくした方が眼鏡の度をアップするよりも効果がありますよと、どこの眼鏡屋さんでも御指導いただくわけですが、それがかなわない私ども修行僧にとりましては度数を高くするしか方法はないと言う悲しい立場の人間になってしまいました。
 
  さて、童謡に「トンボのメガネは水色メガネ。青いお空を飛んだから~」と言う美しい歌詞の歌がありますが、先入観や偏見によって人や物事を見るステレオタイプの色メガネだけはかけまいと誓っています。
 
  失礼致しました。
 
 

長泉寺住職
 
奥野 成賢

  おはようございます。
  先日の2月1日の豆まきには雪で足元の悪い中、親子約350人の方々がお集まり頂き、盛大な豆まきが行われ大変嬉しく感謝をしております。
  当初は戸外で豆をまく予定でおりましたが、雪が降り積もっておりましたので急遽本堂の中で、まぁ芋洗い状態の中で賑やかに、賑やかというよりもなんか入り乱れて年男様も豆を拾う子供たちもわけがわからないうちに豆まきが終わってしまいました。ともあれ今年1年健康で無事で良い年であるように願いたいと改めて思っています。
  さて、名古屋で年老いた女性を未成年の若い女子学生が殺害をしてしまうという悲しい事件がおきました。新聞によりますと、この加害者の女性は子供の頃から人を殺してみたかったという願望を持っていたということです。殺人事件は言うまでもなく、この報道は、私たちにいっそう衝撃を与えたニュースでした。
  そこで、幼稚園の先生方にレポートを提出するよう課題を与えました。それは子供から「なぜ人を殺してはいけないの?」と質問されたら一体どう答えるかということです。
  このような質問を大人にいたしますと、まぁほとんどの大人は次のような行動を取ります。
 
  つまり、その問いにふさわしい適当な答えがどこかに書いていないかとまず本を調べたり、あるいはパソコンを開いて検索をして他人様がどのような答えをその時にはするのだろうかということを探します。そしてその中に自分の考えと合った、あるいは書かれた人の考えにギリギリ納得をて、同調出来る答えが見つかりますと、あたかもそれが自分の考えであるかのようにして子供に返答するということをします。
 
  けれども、それでは子どもの心にはきちんと届かないと思います。当たり前です。借りてきた考えですから子どもに納得させる迫力がありません。間違っていてもいいから、自分が生きているこの時間、今まで生きてきてこれまで培ったまた経験や考えを下にして自分の考えできちんと子供に相対する、こういう姿勢が大事だと思います。
 
  正しいもっともらしい事を答えるというよりも正面から子供の心にぶつかっていくそういう親の視線が子供にとっては嬉しいもの信じられるものだと確信します。
 
   さあ、なたなら「一体なぜ人を殺してはいけないの?」それに対してどう答えるでしょうか。一人一人の課題として今回のニュースを見てほしいと思います。
  失礼致しました。
 
 
 
 

長泉寺住職
 
奥野 成賢

 
  おはようございます。
  お正月だからというわけではございませんが、今日はお許しをいただいて少しエッチ?なお話をさせていただきます。
 
 
  これは今から20年ほど前のことだったでしょうか、吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)という出版社から毎月出版されている『日本歴史』の、ある年の1月号研究余録に「姫はじめ」と言う文章が載りました。
  これはお正月になって最初に男女が同衾(どうきん)する、つまり肉体関係を持つ、そのことについて歴史的資料をもとにして研究された文章でございまして、「姫はじめ」の日は古来より1月2日に決められている神聖な儀式であるということをいろいろな歴史書をひもといて述べられたありがたい論文でございました。
 
 
  この文章を読みまして、私は世の中にはこのような貴重な研究を真面目にされている学者さんもいるのだと非常に嬉しく、頼もしく思いました。ところがそれを私はうっかり、何年の1月号に載っていたか忘れてしまいました。ですから、そのご研究をここで改めて皆さんに紹介することができません。今はパソコンの時代ですから、ご興味のある方はお調べになって、詳しくご覧になっていただくとよろしいかと思います。
 
 
  さて間もなく節分がやってまいりますが、長泉寺の節分はいつの頃からかわかりませんが、年男の方々が各自スリコギを両手でもちまして福男が「福は内、鬼は外!」と掛け声をかけながら福豆を撒いた後に、「ごもっとも!」と大声に叫びながらそのスリコギを、豆を拾わんとする人(特に女性)の股間に押し当てるという奇祭が伝わっております。
 
  この「ごもっとも様」と言う長泉寺の節分の風景はテレビでこれまでも何回も放送され当地でも有名になっています。この風習は秩父の三峯神社に伝わっている奇習だということを後に知り、三峯神社の節分では、そのスリコギを大事そうに厳かに天に向けて捧げ上げるように「ごもっとも!」と大声に奏上し、五穀豊穣を祈っている姿がNHKで放送され深い感動を覚えました。
 
  鬼は外と言って豆をまき、その豆をぽりぽりと食べるだけの現代的な豆まきとは異なり、むかしの節分には身近にある様々な疫病を追い払い、今年も稔りの多い年になるようにという切実な現実的願いと子孫繁栄がその行事に込められており、その熱い心を感じます。
 
  さて、今年の長泉寺の節分豆まきは、2月1日、日曜日の夕方4時からです。本来であれば節分当日に行うのが当然ですが、子供たちのため、集まりやすい日曜日の午後に節分の意味を、お話をしながら行事を実施しているわけです。
 
  どうぞ皆様も多数お越しいただき、今年の厄落とし、五穀豊穣、子孫繁栄を祈願していただきたいと思います。
  お菓子等もたくさん用意しております。お待ちしております。
 
 
 
 
 
 

長泉寺住職
 
奥野 成賢

  おはようございます
  禅宗のお寺ではまず起きて坐禅です。その坐禅をする前に、行香と言って諸堂にお祀りする仏様にお線香をあげてご挨拶をし、そして最後に坐禅堂に入り、文殊様(聖僧様)にお香をお供えして、坐禅をさせていただく「行」を勤めています。
 
  そこで長泉寺では毎朝どのようにして、行香をしているかを今日はご紹介致します。
 
  

まず最初に護法韋駄尊天さん。俗に言う韋駄天さんとは仏法伽藍守護の仏様です。かまど(竈)もお護りをいたしますので火消装束のような鎧を着た勇ましい格好をした仏様です。
 
 
 
  
続きましておトイレですね「東司(とうす)」と呼ばれています。
東司の仏様、烏枢沙摩明王様にご挨拶をします。数年前に「トイレの神様」という歌が流行りましたが、いわばこれはトイレの仏様ということですね。
 
  
その次に御開山様・開山堂に赴き長泉寺を開かれた即庵宗覚禅師様その他歴代のご住職様に上香三拝してご挨拶をします。そしてご本堂にまいります。
 
 
 
 

 
   そこで上香三拝をし、それから坐禅堂に入り文殊様にまた上香三拝していよいよ坐禅となります。で、朝5時40分に坐禅が放禅いたします。

 
   1人のお坊さんは6時の梵鐘を撞きに参り、残った私が朝のお勤め、いわゆる朝課(読経)をいたします。
  
朝課がすんだら、「戦没者慰霊塔」そして伊具地区三十三観音の一つ(第31番)である「十一面観世音菩薩」(一体は伝来のもの、もう一体は篤信の神尾様からご寄進賜った十一面観世音菩薩)にお参りをいたします。

  その次に、本年中に亡くなられた方々の白木のご位牌が並んでいる新亡精霊の位牌壇。戻って、今度は玄関のところにあるもう1体の韋駄天様に参り、「般若心経」をお唱えして今日一日の無事をお祈りいたします。

 
   最後に丈室と言って住職の部屋ですが、そこにもお仏壇(内仏)がありますのでお線香を立て三拝し、読経をいたします。以上が大凡毎朝の流れです。
   このような毎朝のお寺の生活は、他人様から見ればせわしなく面倒な事かもしれませんが、私どもにとってはそれが身についた日々の生活になっており何の不自由も感じていません。朝4時50分起床、6時40分頃までの長泉寺の日常です。ありがとうございました。
 
 
 
 
 
長泉寺住職
奥野 成賢

  あけましておめでとうございます。
  皆様方におかれましては良い春をお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。本年も何卒よろしくお願いいたします。お餅はたくさん召し上がりましたか、お正月においしいお雑煮をいただくことぐらい幸せな気持ちになる時はないと思います。
 
  さて新年早々難しい話をするようで大変恐縮ではありますが、新約聖書マタイ伝に「人はパンのみにて生きるものにあらず」という有名な言葉が出てまいります。
 
  人間は食べ物などの物質的満足だけで生きるものではない、精神的な満足を得てこそ生きられるものだという意味と思います。神の口から出る一つ一つの言葉によって私達は生きるものである生かされるものであると言うふうに新約聖書は説いております。しかし、現代は物質の豊かさに流され、精神的な豊かさ満足が得られない時代になったと言われております。
  この言葉は、私たち僧侶の立場においても布教・教化の点からも反省すべき言葉であります。より多くの方々に、気安くお寺においでいただき、お寺でゆっくりとお茶を召し上がっていただきながら何か宗教的な心を感じていただく、神様や仏様のお力で生かされているんだ、そのような安心(あんじん)が得られるようなお寺にしなければならないと思います。
 
  お寺にはパンはございませんが、心落ち着く本堂と心やすらぐ庭園と暖かいお茶がございます。お寺本来の自然の空間とお香の香りのする静けさの中で、生命の豊かさと悦びを感じていただきたいと思います。この一年よろしくお願いいたします。
 
  皆様方のご健勝とご繁栄、ご活躍を心よりお祈りをいたします。
 
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  今年も残すところあとわずかとなりました。皆様方今年1年はどのような1年だったでしょうか。今年1年を振り返り、清々しい新年を迎える意味で長泉寺では毎年大晦日夜11時から除夜の鐘をお届けしております。どうぞ皆様方も奮って撞きにお越しくださるようお待ちしております。
 
  例年通り紅白の鐘餅と温かい年越しそば、甘い甘酒を準備しております。ご家族様おそろいでおいでくださるようお待ちしております。
 
  さて角田市の広報「広報かくだ・新年号」によりますと、本年11月30日現在の人口は3万766人でした。私の推測では、今年お生まれになった赤ちゃんの数からお亡くなりになられた方の数を差し引ますと250人ほどのマイナスとなる計算になります。したがいまして、単純に考えればあと3年ほどで角田市は残念ながら3万人を割る計算となってしまいます。非常に寂しく残念でなりません。市長様はじめ各方面の方々も人口をどのようにして増やすか腐心されているとは思いますが、私なりに一つ案を申しあげたいと思います。
  それは「律儀者の子沢山」と言う諺(ことわざ)です。すなわち、律儀な男は遊びにふけったりすることもないので自然と夫婦仲も良くなり、その結果、子供が沢山生まれるという諺が昔から言われておりますが、そのように夫婦仲が良い、円満な家庭を作るということがひいては人口増加につながるのではないかと考えているのです。
 
  これは明治安田生命保険相互会社が毎年11月22日(いい夫婦の日)にちなんでアンケート調査をしている報告によりますと、夫婦円満のためには何が必要だと思いますか?という問いに対して、やはりよく会話をすることが一番だと答えたご夫婦が非常に多いという結果が出ています。愛情度が高いから会話が増えるのか、会話が多いから愛情度が高まるのかはわかりませんが、ともあれ夫婦間の愛情を高めるためには会話によるコミュニケーションが重要だと言うふうに考えている人が多いことがわかると思います。
 
  家庭円満で夫婦喧嘩をしない家庭であれば子供たちもすくすくのびのびと安定した心で育つことが出来るのは間違いありません。
 
   次に、これから紹介をいたします都々逸は私が会長を勤めさせていただいております角田・丸森地区防火管理者協議会で紹介をした都々逸ですが、「目から火の出る所帯を持てど火事さえ出さなきゃ水入らず」という都々逸です。家庭円満そして家内安全これに努め家庭から明るい笑い声と楽しい会話そういう家庭の中にこそ社会を良い方向にしていく原動力が生まれると思います。そう信じて来年も平和で明るい社会になるよう祈りたいものだと思います。それでは除夜の鐘の時に皆さんとお会いしましょう。今年一年ありがとうございました。
 
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  特別企画「弔辞・・・鮮やかな人生に鮮やかな言葉」という宣伝文句に惹かれて『文藝春秋』12月号を買い求め拝読をした。ところが期待をしていた特別企画の各界著名人の弔辞は何か一つ私の心にピンとこず、いささか落胆をしてしまった。ともかく、いろいろ様々な弔辞があるということだけは勉強させてもらった。
 
  それよりも私の心にとまった文章がある。それは「追憶二人の将軍」というタイトルで元陸上自衛隊幕僚長の冨澤暉様がお書きになった文章である。その中に結婚式の思い出が書いてあった。
 
  ・・・結婚の時には今村均元陸軍大将に仲人を引き受けて頂いた。披露宴で私の名を(暉)を「ひかる」と読まず、「あきら」君と読んで後で奥様に叱られていたようだが、お仲人が「あきら」と呼んだら私の名付け親である佐藤春夫氏はじめ当時の鏘々たる来賓が祝辞で全員「あきら」君で通した。これには「明治」を感じたものである。・・・という文章である。。
 
  仲人を引き受けて下さって挨拶をされた方は有名な今村閣下である。面前で閣下に恥をかかせることをせず、閣下に右ならえで淡々として故意に間違って言うあたり、その当時の方々のなんと言うか心意気というものを感じた。流石というべきであろう。
 
 
  さて、弔辞といえば、昔からの常套句である「溘焉(こうえん)として逝去されました」というフレーズ(にわかにお亡くなりになったという意味)や「長逝されました」、すなわち永久に逝って帰らぬこと、つまり末永く浄土で安らかに眠るという意味でしょうが、そのような昔からの弔辞の常套句は今、なかなか聞くことが出来なくなった。
  時代の趨勢と言えばそれまでだが、弔辞というものにはある程度形式というものがあって然るべきではないかと思う。文語調で衒学的な弔辞も困りものだが、かと言って口語調で品性のないのも聞くにたえない。ちょっと葬儀の度に寂しく感じる近頃である。
 
  なお、冨澤氏は上記の文章に続き、下記の如く今村閣下の思い出を書いておられる。銘すべきであろう。
 
  ・・・防大に入ったばかりの頃、私は不躾にも「私も軍人になりますので、死生観について教えて下さい」とお聞きしたことがあった。閣下は静かに「私に死生観をお教えすることは出来ません」と言われた。「恥ずかしいことですが、実は私はラバウルの始末が一応ついた時に、自決しようとして失敗してしまいました。飲んだ薬が古くなっていて効かなかったのです。それ以来、死というものを自分で決めることは出来ないと考えています」とのことであった。今村閣下は若造に対しても、素直に丁寧に、お話しして下さる方であった。・・・
 
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  NHKの朝の連続ドラマ「マッサン」は、今、大変な人気で視聴率も高いように伺っております。
 
 
  特に「マッサン」のパートナーで奥さんのエリーさんは、スコットランド女性でありながら、日本人妻として生きて行きたいという大変健気な女性に描かれていて、この姿が爽やかで人気があるように思います。そのエリーさんが箸の使い方が出来なくて、お姑様から意地悪をされながら豆を挟んだりして、練習しながら努力をするシーンが放送されました。
 
 
  さて、禅宗では応量器(おうりょうき)という特殊な器を用いて朝のお粥、中食(昼食です)、薬石(夕食です)をいただきます。その器の使い方は独特な作法で大変なのですが、その作法よりも私ども修行道場で最近困っている事は、特に若い修行僧の方々や初めて修行道場の門を叩いた方々の箸の持ち方が非常に乱れているということです。
 
  お箸の持ち方は鉛筆の持ち方と同じだと言われていますが、どうもこれをうまく持てなかったり使えない若者が修行に訪れるようになりました。これは1ヶ月や2ヶ月の特訓ではなかなか直すことができません。
 
  やはり、それぞれの家庭での小さい頃からの使い方が大事で、お箸の使い方が身に付いていないと応量器の使い方も上手に出来ません。このような生活の基本という事は、おばあちゃんお母さんそして子供というふうに伝えっていてこそ我が身に染みるものだろうと思量します。
 
  特別なところに行って修行するというのではなく、まさに身近なところに私たちの学ぶべきことは多く、しかも何気なく自然に正しい所作をしている姿こそ美しいものはないと思います。失礼をいたしました。
 
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  今年も市内・稲置の遠藤栄一様からご自身で作られた見事な菊をお寺に飾って下さいと、ありがたいお申し出を頂きました。多くのご参拝のお客様に喜んで頂いております。感謝、感謝です。
 
 
  さて、長泉寺にはこのとおりたくさんの広葉樹がありますから、落ち葉を「腐葉土にしたいので譲って下さい」という方が多くて差し上げることが多かったのですが、震災後、放射能の心配からか、「腐葉土にしたいので下さい」という申し出の方が少なくなりました。否、少なくなったというよりは皆無になりました。もちろん放射線量が高いことはないのですが、いろいろな心配をされる方が多くなったのだと思います。
 
  そこで、今年も庭にたくさん枯れ葉が落ちておりますが、庭掃きして集めた落ち葉は、さらに一箇所に貯めてそれを大きな箱に積み上げ、いっぱいになったら廃棄物処理業者にお願いをして廃棄しているわけです。
 
  けれども、枯山水の庭にした部分はもう掃ききれませんので落葉し尽くすまでそのままにしておくことにしました。せっかく枯山水の庭を見にきたのに、これでは落ち葉の山だと、がっかりしたとの多くの声も聞こえてまいりますが、どうぞこのゴミの問題と環境の問題に長泉寺も苦労しながら取り組んでいる現況をお察しいただきまして少し目をつぶっていただきたいとお許し下さい。
 
  冬になれば雪の降った銀世界のお庭を皆様方にお約束をいたしますのでそれまでしばらくご辛抱をお願いしたいと思います。失礼いたしました
 
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  昭和39年10月1日東海道新幹線が開業いたしました。そしてその九日後の10月10日に東京オリンピックが開会されました。私が小学校5年生の時です。
  さて、今年はその東海道新幹線が開業してから50周年の節目の年に当たり、この10月1日もたくさんの鉄道ファンで東京駅が賑わったとニュース等々で大々的に報道されました。
 
   私は鉄道ファンではありませんので詳しい事は分かりませんが、鉄道に詳しい方から聞いた話によりますと、東京駅の駅長室に、大本山永平寺の貫首(永平寺第七十六世(1976-1985))秦慧玉禅師(はたえぎょくぜんじ)のご染筆の「無事」と言う書が掲げられているそうです。(無事(ぶじ)これは「むじ」とも読みます)。
 
  そして、この「無事」という書が掲げられている前で、毎朝8時半から9時まで関係の方々が集まり駅長さんを中心に朝のミーティングが開かれていると言うことでした。私は駅長室に入ったことはありませんし、どのようなご縁で禅師様の書が駅長室に飾られるようになったか、その経緯についてもわかりません。
 
  しかし、この書は、今日一日、事故のない安穏な日であるようにという祈りの思いで掲げられているに違いないと思量されます。
  例えば、『妙好人伝(みょうこうにんでん)』という書物の中に「今日の無事はひとえに母の御蔭なり」という言葉が出てきますが、乗客の安全を祈りながらお仕事をされている鉄道にふさわしい書だったのかもしれません。さらに『臨済録』の中には、「無事の人」という言葉があり、仏道に徹して、淡々として生きる人と言う意味で使われています。
 
 
  東海道新幹線のその正確な時刻表は、世界から驚嘆されていますが、時刻表と実際の発着の差が1年間でもわずか数十秒だと言うことです。
我々にとってはダイヤが正確なことは当たり前と思いがちですが、1年間を通じてほとんど誤差がないという事は驚くべきことと思います。
  この正確無比な定時発車の信念を貫き、励行する几帳面さは、私たちの修行に似ています。「鉄道」という修行に徹し、無心に業務(ダイヤ道)に合する生き方に励み、喜びとする姿勢は、そのまま禅で言う「平常心是道」、悟りの境地そのものです。まさに「無事是貴人」です。
  いつも新幹線を利用して移動させていただいている私ですが、駅長室に無事(ぶじ・むじ)の書があるという話を聞いて、我が曹洞宗の禅師様の書が鉄道員の心の支えとなって車輌を運行していると思うと、少し誇らしい気持ちになります。
 
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  10月5日は達磨様がお亡くなりになられた日、達磨忌(だるまき)でございます。景徳傳燈録(けいとくでんとうろく)という書物には495年10月5日に達磨様は150歳で亡くなられたと、そう書いてございます。150歳という長寿で亡くられたのですが、達磨様はご存知のようにインドから中国に禅を伝えられた方でございます。
  嵩山(すうざん)の少林寺という所、少林寺拳法で有名なお寺ですが、そこで面壁九年、九年間坐禅をされました。禅の教えというのはこれだよと、ただひたすらに、お悟りを開かれたお釈迦様と同じ姿一体となって座ることだよと、座る事はそれ自体が悟りであり修行なんだと言う事を伝えられた方でございます。従いまして、その日は我が曹洞宗のお寺さんでは達磨様を偲んで法要が営まれるわけであります。
 
   この10月5日の達磨忌は別の意味もございまして、それはすなわち坐禅堂に夏の間、扉の代わりに、入堂する時それから退堂する時にその簾を下ろすわけなのですが、竹製の簾を冬用の布製の簾に替える日でもあります。簾を変えるという意味でこの日を関聨の日とも呼んでおります。のれん(暖簾)というのは暖かくする簾とこう書くように、竹製の通気が良い簾から風を、冷たい風の出入りを防ぐ布製の簾に替えるという日であります。
 
  長泉寺でも坐禅堂の簾を替えそれから庫裡の方にお立てしてご来客の方々を涼しくお迎えをしておりました夏用の建具を冬用の襖戸に替えました。気づかれる方が意外に少なくて、まあそれもいいかと思うのですけれど、夏と冬の建具、お寺のおもてなしも季節によって替えているんだと言うことも、お寺に来た時に感じ味わって欲しいなと思います。
 
  日に日に朝夕寒くなります。お風邪などを召さないようにお励みくださるようお祈りをいたします。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  今年の秋彼岸は穏やかな日に恵まれ、例年よりお墓参りの方の人出も多かったように感じました。
  今年は蚊を媒介とするデング熱が大流行したので、お寺でもお盆の時の蚊の駆除に引き続き、初めてこの秋彼岸にも蚊の殺虫の消毒を実施しました。
 
   また幼稚園でも園児たちが気持ちよく外で外遊びができるよう、毎朝先生方が草むらに殺虫剤を噴霧したり、あるいは子供たちに虫除けのスプレーをするなどその対策に努めています。しかし、相手は蚊という生き物ですから、なかなか人間の思うように駆除できないことも事実です。したがって、墓地等にお参りされる場合には各自、防虫の準備をされてお参りくださるよう、お寺としてもお願いをいたします。
 
  さて、お中日に私もお墓にお参りにまいりました。そうしたら遠くの方から笑い声が聞こえ、楽しそうな声で賑やかに会話する女性たちの声が聞こえてきました。何だろうと思い行ってみると、お墓に来られて何年ぶりかでお友人たちと会い、こんなところで再会できるのも何か仏様のお導きじゃないかと言って楽しそうにお話をされているのでした。「そうか!!」お墓参りというのは亡くなられたご先祖様とだけでなく、同時にお参りの方どうし互いに心を通わせ仲良くお話をできる、そういう場でもあるのだとつくづく感じさせて頂きました。
 
  さて、お彼岸というのはご周知のように日本だけの習慣で他の仏教圏の国ではこのような風習はありません。お彼岸の中日、即ち春は春分の日、秋は秋分の日ですが、その日は昼と夜とのが長さが同じ日で太陽は真東から上がり真西に沈みます。
 
  ところで、昔から浄土というのは西にあると信じてられています。したがって、中日に沈みゆく夕陽は真西へ、つまり極楽浄土に向かって真っ直ぐのところに沈んでまいります。ですから彼岸の中日には、その沈みゆく太陽に手を合わせ浄土に対して正面から手を合わすことができるわけです。この中日を挟む1週間を彼岸として亡きご先祖様を偲ぶとするこの習慣を考えた日本人の自然観というか宗教観という事に対して改めて私はありがたいと思い、感動をおぼえます。
 
  宗教離れが進んでいると叫ばれてはいますが、これからも古人に負けない宗教心を持ち続け、このようなありがたい彼岸の教えをずっと伝えていけるような日本人であって欲しいと願うばかりです。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
   秋が近づき朝夕めっきり涼しくなりました。庭には鈴虫の音が鳴り響きます。
  さて、今年の8月15日の終戦記念日もまた暑い日でありました。日本武道館で行われた追悼式典にテレビを通して参列された方も多いと思います。私もテレビで参列をさせていただきました。祭壇の中央には「全国戦没者之霊」と大きな白木の塔が立っておりました。
 
   実は長泉寺でも先の住職が健在だった頃より、否、おそらくは戦後まもなくの頃より戦没者のための供養のお位牌を中央にお祀りをして毎日ご供養を申し上げておりました。(余談ですが、父親は駒沢大学在学中に学徒出陣。海軍予備学生第11期生であった。同期の方々は皆優秀で、私も何度かお会いしたが父は彼等と出会えたことを終生誇りとしていた。)。
 
  さて、私の代になり、我が国の戦没者の方々への供養も勿論ですが、世界中でいろいろな国難で亡くなられた方々への供養をもと思い、これを私は「万国殉難者諸精霊」と新しく白木のお位牌に書き、先の住職のお位牌は脇の方に移動させていただきました。現在はそれに加え「東日本大震災遭難者諸精霊」と表書きをした白木のお位牌を作り、2つ並べて毎日ご供養をしています。(ご参考までに、檀信徒の皆様にお配りした本年のカレンダーをご覧になってみて下さい。)。
 
  ですから、我が国の戦没者追悼のための終戦記念日ではありますが、政府として世界中の戦争の犠牲になられた方々への追悼の言葉も併せて述べていただき平和を祈って欲しかったと思いました。
 
   ところで今年の終戦記念日の大きな反省のひとつ、と言ってもこれは長泉寺の反省ですが、長泉寺でも黙祷の意味を込め正午に梵鐘を打つことにしているのですが、梵鐘を打つ担当の若いお坊さんの手違いで正午に間に合いませんでした。後で私はそのお坊さんをきつく叱り、こういう時に失敗をするというのはとにかく最低である、どういう気持ちで撞かなければならないかと言う事をよく考え、毎日の禅寺での行持を勤めなければならないと諭しました。
 
  漫然と鳴らし物をするのではなく、鳴らし物が私たちの心に伝える意味を考え緊張して打たなければならない。こんな話をしたわけです。
 
  近頃、政府は集団的自衛権などと叫び、なんだか嫌な世の中になってきました。今後もずっと戦争のない平和で幸せな日本国であるよう、強く祈った終戦記念日でした。
   多忙にまかせ更新が遅くなりました。お詫びします。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  お寺はこのように広い建物ですから、夏場になりますと蚊取り線香が欠かせません。ご本堂あるいはお墓にお参りに行く時、あるいは外で草むしりや庭掃きをする時、蚊取り線香はいつも身近にあって虫除けに使う大切なものの一つです。
  ところで、最近ふと、蚊取り線香を眺めて感じたことがあります。ここではメーカーさんの名前は差し控えますが、A社の蚊取り線香、B社の蚊取り線香等々、その会社で渦の巻き方が様々だと言うことに初めて気がつきました。A社が右巻きだったら我が社では左巻きにする。そういうなんとも言えない対抗意識と言うか、会社の独自性を打ち出そうとする、そういうお考えがあるのかもしれません。
 
   けれども、左巻は何となくイヤですね。ワハハ・・・。いゃ、これは失礼しました。
 
  さて人の仕事を見ていますと、掃除をする時にも雑巾をきつく絞って拭く人もいれば、ゆるく絞ってだらだらと雫を垂らして床を拭く人もいます。拭く布が濡れていれば雑巾が滑りやすく早く仕事が終わりますが、拭いた後はいつまでも濡れていて、これでは掃除をしているのか水でワックス掛けのように床を濡らしているのかわかりません。きつく絞れば布は滑りにくく掃除は大変です。ゆるく絞れば布がなめらかに滑って掃除をするのは楽です。けれども何のために床を拭くかを考えれば、それはゴミを拭い床をきれいにするためです。そのことをいつの間にか忘れてしまって掃除がしやすい方しやすい方へという風に人間は考えてしまいます。
 
  仕事の上でも同じことで何のために仕事をするのか忘れて、仕事がしやすい方に私たちは流れてしまいます。
 
   大変失礼ですけれど、原子力発電所の事故も本来はこうすべきだと言うマニュアルをいつの間にか簡略化してしまって、仕事がしやすい方に人間が変更して起きたということもあったのではないかなと思います。
 
 
  禅僧が修行する僧堂においては、お師匠さんは弟子に対し、どうすれば悟りが開けるか最短な道を修行のその時々で指導してくれます。それを自分なりに解釈し変更して悟りに到達しようなどと考えれば逆に悟りに遠くなるということを改めて修行僧の方は知っておかなければならないと思います。
   失礼いたしました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  毎日暑い日が続いておりますが、皆様方いかがお過ごしでしょうか。お身体に気をつけてこの暑い夏を乗り切ってほしいと思います。
  私ですが、熱中症と呼ばれる病気が頭の中にこびりついて水分を補給しすぎてしまい、胃液を薄め、しかもお腹を冷やして、かえって体調を悪くしてお医者さんに数日通うと言う情けない生活を送ってしまいました。
 
  何事もし過ぎると体に良くないと言う事を改めて思い知らされました。
 
  さて、長泉寺では別紙(お知らせ頁に掲載)のように今年もお盆の供養をさせていただきます。8月3日から6日までお盆の施食会供養、そして9日には永代供養された方々のお盆の供養、また今年新盆をお迎えになられる方々のご供養をさせていただきます。どうぞ、多くの方々のお参りをお待ちしております。
 
  さて、お盆が近づきますといろいろな方がお寺に足を運ばれ、いろいろなご相談事をされる方が多くなります。御仏壇のこと、お墓のこと、お位牌のこと様々なご相談の内容がありますが、最近特に多いのは家庭での家族間のトラブルごとが増えてきたということです。故人様となられた方の遺産の相続のトラブル、あるいは墓地等の継承のトラブル等々ですが、お寺から家庭の問題の中に入り込む事はなかなか難しく、住職としても困っているのが実情です。
 
   家庭の中の平和というのがやはり一番の幸せだと、つくづく思うお盆の季節であります。
 
 
  お盆には亡くなられた仏様(ご先祖様)も帰ってまいりますが、遠くからお身内の方々も帰ってまいります。いわば家庭は皆が集う浄土です。そのご縁を大事に、なごやかな家庭を造って遠くにいても心が通じ合う、そのような人間関係を築いてほしいと思います。
   失礼いたしました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  テレビを観ていると、芸能人の所作にいろいろな不思議さを覚える事があります。
  例えば、私はお酒というのをほとんど飲みませんから分からないのですが、ビールのコマーシャルでジョッキでビールを飲むとだいたい決まって役者さんは「クゥー!」と言いながら首を傾けておいしそうに飲むアクションをしますけれど、ビールを飲む人は本当にああいう事をするものかなと思います。また、芸能人の多くは何か面白い事おかしい事があると、両手を打って口を大きく開け「わはははぁー」と手を打ちながら大笑いしますが、そういう事は私の周りの人たちはあまりしないように思えます。おかしい時はああやって両手を打つのが普通なものかなと怪訝に感じます。
  さて、私は今あることに努力をしています。その一つは「戒尺」の音です。戒尺は主にご授戒会、またはご葬儀の時に合図として打つ拍子木ですが、この「カチカチ」という音がいつでも同じ音色で響くよう、密かに努力をしています。
 
  もう一つは、いわゆる神社にお参りする時に両手を打つ柏手です。この柏手を宮司さんのようにいつでも同じ響きで「ポンポン」となるよう努力をしています。
 
   簡単なように見えてもこれはやってみるとなかなか難しいことで、「戒尺」も「柏手」も、いつでも同じように響かせる、これにはかなりの熟練が必要であると私は思っています。お相撲さんの呼び出しのあの扇子の開き、あるいは拍子木など、それらも陰では大変な努力をされているなと思っています。
   さて、ご葬儀やご法事の時、焼香されるお参りの方々の合掌と礼拝の姿を拝見すると、この方はいつも御仏壇の前や墓の前で、またお寺で合掌礼拝のお参りを重ねている人だなと感じたり、反対にこの方はほとんどお参りや焼香もされない方だなというのがわかります。身体にその作法が染みると言うか、馴染むと言うか、そういう礼儀作法というのはやろうと思って出来るわけではなく、数を積み重ねるうちに身体と心が一体のものとなって初めて身に付くものだと思います。
 
 
  信仰心が有るとか無いとか、そういう難しい話ではありませんが、やはりそういうちょっとした立ち居振る舞いにその人の心の一部が垣間見れるように思います。
  私たちの曹洞宗の言葉に「威儀即仏法(いぎそくぶっぽう)、作法是宗旨(さほうこれしゅうし)」があります。禅僧としての正しい立ち居振る舞いこそが仏道に入る前提であり、毎日の生活が正しく実践され、禅の行為が実現したところが悟りの世界だと言う意味です。つまり、日常の言動、行住坐臥に修行の姿が滲み出てこそ本物の禅僧であり、またそのような修行を積まなければならないと言うことです。
  昔から見た目は九割と言いますが、私のように見た目だけを気にする鍛錬ではだめですね。トホホ・・・・。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  前回、菊池市・聖護寺での話を書きましたところ、読者の方から聖護寺での他の思い出等ありましたら聞かせて下さいと希望されましたので、もう一つ心に残るお話をさせていただきたいと思います。
  それは聖護寺から長泉寺に帰ってくる帰路の道中の思い出です。お話を申し上げたように聖護寺は山の高いところにありますので、帰るためにはバスターミナルのある菊池市の菊池プラザというところまでタクシーで20分から30分ぐらいかけて降りてまいります。そして菊池プラザから路線バスに乗り熊本駅で九州新幹線に乗り、博多あるいは大阪で今度は東海道新幹線に乗り継ぎそして東京で東北新幹線に乗り換えて長泉寺に帰って来ます。
 
 
  ある時、菊池プラザで熊本市内行きのバスを待っておりましたら乗客は私1人だけでした。それで運転手さんに「このバスは熊本駅に行きますか?」と聞きましたら「熊本駅通りますよ、どうぞお乗りください」と言うことで、私1人を乗せて定刻になりましたのでバスは発車をいたしました。
 
 
  ところが、次の停留所で「○○町1丁目、○○町1丁目。お降りのお客様はおりませんか?いらっしゃいましたらブザーを押して下さい」と運転手さんが案内をするわけです。えっ!?他に誰も乗ってないわけです。私1人だけ、しかも私は熊本駅まで行くという事がわかっているわけですからアナウンスしなくても良いのではないか?何を言っているのだろうと私はおかしくなりました。そしてまた次のバス停に来ましたらまた同じように「○○町、○○町。お降りのお客様はいらっしゃいませんか?」その次でも「○○前、○○前。お降りの方はいらっしゃいませんか?」と言うのです。録音テープでなく、それが全部運転手さんの肉声なのです。
 
   しかし、最初は何を言っているのだろうとおかしく思ったのですが、しばらく乗って、はっといたしました。私はこの運転手さんのバスに乗ってよかったなと思ったのです。と言うのは、そのような運行の規則と言うかマニュアル通りに運転手さんは運転されていた事に気付いたのです。ですから「信号待ちになりました。少々お待ちください」また「バス走行中はお立ちにならないようにお願いをいたします。転倒防止にご協力ください」。乗客がいようがいまいが、普通の運行と同じようにアナウンスをしていたことが分かったのです。そこで、私はこのような真面目な運転手さんが運転するバスに乗せていただいて本当にうれしく、また有り難いとつくづく感じました。
   「陰徳を積む」と言う言葉があります。見ていないところでも正しい行いをするということです。
人は自分の他に誰もいないと交通信号を守らなかったり、スピードを守らなかったりするものですが、ルールを守る守らないは、しているその本人にしか分からないことです。
  ルールを破れば、しめしめと思う人もいるでしょうが、むしろそのことが自分の心を苦しめ、罪悪感や嫌な気持ちを持つ人の方が多いのではないでしょうか?自分自身の行為によって自分の心が晴れ晴れと快く、清々しい気持ちになるように、正しい事は誰がいなくても正しい事をせずにはいられない。また悪い事はしようとしても出来ない。そういう真面目な正しい生き方をこの運転手さんから学んだような気がいたしました。ありがとうございました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  新緑の良い季節になりました。筧を掃除したり、蹲踞を掃除したり、庭を手入れするのが楽しい時期になりました。
  道元禅師の言葉に「池を作って月を待たず、月来たって池初めて成る」という言葉があります。これは、月が水に浮かべば良いと池を作るのではいけない。月が水に浮かんでこそ池が出来たと言うものだ、と言う意味です。
 
 
  この言葉は様々に解釈できると思います。例えば、お店を開いて大勢のお客さんが来ればいいと思うのは間違いで、大勢のお客さんがやって来てこそ初めてお店を開いたことになるとも解釈できます。あるいは、お月様を悟りと解釈すれば、修行してその結果お悟りが開けると思うのは誤りで、お悟りの方がやって来てこそ本当に修行したことになるとも解釈できます。意味深長な真実のお言葉だと思います。
 
 
  さて、熊本県菊池市に聖護寺という有名な修行寺があります。お寺の法堂左脇間入口壁に、今は亡き楢崎一光老師(老師は愛媛県新居浜市の瑞応寺専門僧堂の堂長、さらには大本山永平寺副貫首をされました)の御染筆によるこの道元禅師のお言葉の書が掲げられており、聖護寺に拝登させていただくと必ず私はこの書を眺め、道元禅師と一光老師よりご指導をいただく気持ちで心を奮い起こし、そして下山することにしています。
 
  聖護寺は非常に山深いところにあり、真に深山幽谷の地、いろいろな動物もやってきます。毒のあるマムシなども出てきます。それら全てを包蔵する仏法という自然・宇宙をありがたく感じます。
   「渓声便是広長舌(けいせいすなわちこれこうちょうぜつ) 山色豈非清浄身(さんしきあにしょうじょうしんにあらざらんや)」。「山河を見るは仏性をみるなり」(『正法眼蔵』)、もまた道元禅師のお示しです。味わうべき季節です。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  今朝(5月21日)は久しぶりに雨の天気になりました。鐘を撞いて境内の木々を見渡すと、この雨に樹木がうっとりと葉を垂れ、空からの雨のシャワーをうれしそうに受けている感じがしました。雨の景色を眺める私の気持ちも清々しくなりました。
  先日、消防署の会議に出席しました。席上、署長様より、空気が乾燥すると火災が発生しやすくなる。特に山火事など、焚き火による火災の発生が高いと言うお話をいただき、私たちのちょっとした不注意で大火災ともなり、この大切な自然を損なってしまう。一層火の取り扱いに注意をしなければならないと訓示をいただきました。
 
 
  先月、4月20日から22日まで3日間に渡り山内の樹木の剪定をいたしました。
  作業を依頼した業者の方は伊勢神宮や日光東照宮の樹木を管理されている和氣𢡛親方で、「吊し切り」という特別な作業方法で枝を払い木を切るという軽業師のような方です。クレーンで幹や枝を吊り、高所から順々に切り落とす伐採の様子を下から見ていると、私の方が目が眩むようでした。
 
  さて、親方である和氣さんのお話によれば、暦の中には「八専」と言う言葉があって、この八専の期間に樹木を切れば、夏の時期でも木は枯れないということでした。
   確かに今回の作業も八専の期間に当たり、4月末にもかかわらず切った樹木からは一滴の樹液も流れ出ませんでした。芽吹く時期で水をどんどんと吸い上げているはずの樹木が不思議なことに樹液を出さない。つまり八専とは、樹木が生命の活動をちょっと一休みをしている時期に当たるのだなと言うことがわかりました。
  また、木を倒すときに用いる斧には三本の線が入っている。この三本の線の意味は、昔、斧をかついで森に入り、そして目当ての木を伐採する時にその斧をその木に立てかけ、いわゆる木霊というか、その木に宿る神様に対して山海の珍味をお供えしそれからお酒をお供えをして手を合わせ、神々のお許しを頂いてから伐採する儀式をしたのだそうですが、お供え物がない時でも、お供えさせて頂いたことにするためにその名残がその斧の三本の線に象徴化されていると言う話もお聞きしました。
   職人さんには、その仕事における知恵と言うか心があるのだと驚き感心もいたしました。
 
 
  普段、私たちは何気なく森を見、山を見ている訳ですがその陰には私達の目には見えない神秘的な自然の力を大事にし、逆らわず、森を守って下さっている人達がいることをあらためて知り、つくづくありがたいと思います。
   いま、東北の森や山は震災復興のためどんどん削り取られています。津波から人間の生活圏を守るため防潮堤や土地の嵩上げに大量の土が必要とされるからです。やむを得ないことです。しかし同時に、私達は自然に守られ生かされていることも忘れてはなりません。
  人間のためだけに森を消滅させては貴重な動植物の生命まで奪うことになり、それはやがて私達の生命まで脅かすことにきっとなるのではないかと心配です。
  森を守りつつ震災復興が出来るような、もっと良い手立てはないものでしょうか?。震災復興と同時に森の再生を是非お願いしたいものです。
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  私の父であり師匠でもあり、また長泉寺41世の住職、つまり先の住職を勤めた奥野泰弘師は平成14年5月13日に81歳で遷化(逝去)しました。
  今年は正当13回忌に当たりますので、去る5月9日に私が講師を勤めさせていただいている大本山総持寺祖院監院の今村源宗老師に焼香師をお願いをして法要を営みました。
 
  親は左利きで非常に手先が器用でありました。多忙な檀務の中、様々な材料を集めては暇な時間を見つけて工作をするのが唯一の楽しみとしていました。法衣を着たときの厳しい表情の僧侶の顔から普通の父の顔に戻って工作する姿に、私は本当の親の姿を見ておりまた。
  竹を自分で火に炙り、角度を工夫しながら曲げて作った孫の手2本が今も残されていますが、それは非常に絶妙な角度で、我が家ではテレビを見ながら四半世紀も愛用させていただいています、アハハ・・・。孫の手は一例ですが、その他にもいろいろ親が作った小物が沢山残されており、そういうものを使うたびに親の顔が思い浮かびます。
 
 
  さて私たち僧侶が法要で使用する法具の一つに「笏(こつ)」というものがあります。その笏も自分で作ったものがあり、黒檀の棒を自分なりに削り、その裏面に「竹雨松風(ちくうしょうふう)」と、それから自分の名前を「長泉泰弘」と小刀で削って刻銘したものがありました。 1周忌法要の時に、今度は白檀の木でそのレプリカを私が作り(業者に作らせたのですが)、参列して下さったお弟子の方々にさしあげました。
   「竹雨松風」という言葉は、普通は「雨竹松風」というのが通例で、親は何か間違い事をしたのではないか、とそのレプリカを作るときに思いました。けれども、何か意味があって竹と雨の字を逆にしたのかもしれないとも思い、それはそれなりにして、そのまま親の字体そのままに笏に複刻して皆さんにお別けいたしました。
  その後、「竹雨松風」の文言についてお弟子の方々からは何もご意見がなく、それも寂しいといえば寂しいですけれど、ともあれ、先人が遺したものには何か意味があるのだろうと私はいつも考えております。
  前述したように、親は左利きでした。祖父も左利きでした。私も左利きです。私の次男も左利きです。見えない遺伝子というのは、こうして代々確かに受け継がれ残されているのだと実感しています。
 
 
  皆様方にもご自分のご先祖様、ご家族様を思う時、何かそういう見えない事、見えないものを感じる方もいらっしゃると思います。その見えないところに私たちは何かありがたさ、不思議さというのを、また感じなければならないのでないかと思います。失礼いたしました。
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

   おはようございます。
   4月22日に全国一斉学力テストが行われました。翌日の新聞にその問題が載りましたが、非常に面白い問題が今回たくさんあったように思います。私が興味深く思ったのは小学校算数Aの問題です。
小学校6年生の問題ですが、その算数Aの5番の問い、これは日本の伝統文化に関する問題でした。
  5番の(1)の問題は畳の敷方についての問題です。まず、畳の敷方には約束事が3つあり、1つは床の間に畳の長い辺を合わせる、2つ目は出入り口に畳の長い辺を合わせる、3つ目は畳の四つの角が1カ所に集まらないようにする。この3つの約束事があって私たちの部屋に畳が敷いてある。まず、そういうルールを子供たちに教えて、では、床の間・出入り口付き6畳間の畳の敷き方を実際に図に描いてみましょうという問題でした。
 
   この問題にチャレンジした子供たちはテストが終わったら、きっと自分の家の畳の部屋や身の回りの様子が気になって、より意識を持って見るようになるではないかと思います。
   おっと、前置きが長くなりました。私が今日お話ししたいのは、その2番目の問題「使いやすい箸の長さについて」の質問です。ちょっと読んでみます。「使いやすい箸の長さの目安は、1咫半(ひとあたはん)と言われています。「ひとあた」とは親指と人差し指を直角に広げたときのそれぞれの指先を結んだ長さです。1咫半(ひとあたはん)は、1咫を1.5倍した長さです」と、図を使ってまず説明されています。親指と人差し指を直角に広げた時の単位、これを1咫ということを小学校6年生で覚えるだけでもすごいと思います。
 
 
   ところで、市販のお弁当を求めるとお弁当についてくる箸がいやに短くて使いづらいと感ずることが多くなりました。皆さんの中にもそう感じられる人もいると思います。どう見ても1咫位の長さです。これくらいケチってどれ程の節約エコになるんだろうかと考えてみることがあります。
  また、外出場所で用を足す時、蛇口から流れる水が寂しげにちょろちょろとしか流れない手洗いが多くなりました。手を洗うとすると水量が少ないため、どうしても洗面台のヘリに手が触ってしまいます。指が当たって不便ですし、また不愉快です。
  そんな時、節約エコと言うのはさてどういうことなんだろうかと思います。節約しすぎて使用に不便さを覚えることはエコとは言えないのではないか、ただ単にケチっているだけではないかと思えてなりません。不便さを与えるエコ活動と言うものは本来あり得ないと思いますが、皆さんはどう思われますか?
 
 
  脱線しました。箸の長さと咫の話に戻ります。使い易い箸の長さが1咫半ということを覚えておくと、子供たちにとって使いやすい箸の長さがお母さん方にはすぐわかります。さらに1咫は身長の10%の長さに相当することもこの問題の中で説明されています。つまり、自分の子供の身長が130センチだったら1咫は13センチそれに6.5センチつまり約20センチの長さの箸がその子供にふさわしい箸であることを教えてくれる問題でもありました。
  余談ですが、昔の人の身長は大体150~160センチぐらいだと言われています。今、仮に150センチと計算すると1咫はその10%つまり10分の1で15センチになります。三種神器の一つである八咫鏡の周辺の長さは15×8で120センチ、円周率を3.14とすると120÷3.14で大体直径38センチ位の鏡これが八咫鏡となります。また、八咫のカラスは体長120センチの大きなカラスだったということがわかります。その八咫のカラスの導きで神武天皇が熊野から大和に至る道を進んで行かれたのですね。
 
   一つのことからいろいろなことに興味を持って学習できるよう生徒を指導するのは現場の先生の役目だと思いますし、また、大人にとっても面白い、良い問題がたくさんあった今回の学力テストだと思いました。
  私たち僧侶が取り組む修行も教えられることを待っていては遅すぎます。日常生活そのものが修行であるという事、毎日毎日の自分の生き方に正面から取り組むという事、結局、「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」というのはこういう事だろうと思います。大変失礼いたしました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  桜花爛漫の好時節を迎えました。今年もお寺の桜は見事に咲き、境内は花見の客やカメラマンで賑わっています。
 
  4月10日はミネ幼稚園の入園式で、新入園児はこの花咲く綺麗な園庭に明るく元気に登園してきました。嬉しい季節です。桜の木の下で入園記念の写真を撮る親子の姿はみんな幸せそうな表情で、園長の私も嬉しく幸せな気分になりました。
 
  さて3年前の震災の後、復興を応援する「花は咲く」という歌が日本中で歌われましたが、当然ながら桜の花も環境が整わなければ咲きません。つまり、厳しい冬が過ぎ、気温が上がり雪が消え、十分な春のお日様の輝き、水分、栄養等々、そのような環境が整って初めて咲くものです。ただ種を蒔き歌を歌っていれば花咲くというわけではありません。
 
  ですから、復興を応援する歌もよろしいですが、復興が進むような目に見えたアクションが必要で、それによって環境を整えなければ被災地には決して花が開かないということも私たちは理解をしなければなりません。一層のご支援を被災地の方々にお願いしたいと思います。
  さて長泉寺とミネ幼稚園では、平成22年度からいわゆるペットボトルのキャップを集めて最終的にはそれを認定NPO法人JCVに送り届けて、小児マヒから子どもたちを守るポリオワクチンとして送り支援するというエコキャップ活動をしています。LinkIconundefined別表の通り平成25年度は468キロのペットボトルのキャップをご協力いただき、平成22年度からの累計は1,572キロも集まり、送らせていただくことが出来ました。ペットボトルのキャップを1個2.5gと計算して、そのキャップが800個すなわち2 kgでポリオワクチンが1本(約20円)まかなえるという計算です。平成25年までですと1,572キロですから、この活動を開始してからこれまで786人分のポリオワクチンを送ることが出来たことになります。
  この数字を多いと見るか少ないと見るかはそれぞれの人のご判断だと思いますが、ともあれ人のために役立つ活動というのは目に見える大きなものではなく、小さな小さな地味な積み重ねがあって初めて成しえるものと信じます。何事も、継続的な努力が必要です。エコキャップ活動にご支援、ご協力をいただいている多くの方々にあらためて心より御礼申し上げます。
 
エコキャップ活動
  ペットボトルのキャップを集めて、リサイクル工場に売却したお金を内閣府認証のNPO法人「エコキャップ推進協会」に寄附して、世界の子供たちにポリオワクチンを届ける、という活動です。
 

 
 
 
   図は「長野県・佐久の情報サイト『あさま日和』の編集長ブログ」より掲載させて頂きました。

  当サイトの環境活動報告の頁にも内容を掲載しています。
 
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  いよいよ4月から消費税が5%から8%に増税されました。そこで、3月は駆け込み需要と言うのでしょうか、いろいろなところで買い物を安いうちに済ませておこうという消費者がたくさん群がる光景がテレビで報道されていました。
 
  さてこれは、3月29日付の読売新聞の編集手帳からですが「除夜の鐘 税込み価格で108つ」という句があるのを拝見して、世の中にはうまいことを言う人がいるものだなぁとひどく感心いたしました。
 
  この句は、第一生命保険のサラリーマン川柳コンクールで入選100作品の1句だそうで、時節柄の消費税アップを揶揄した句ではありますが、当然ながら、除夜の鐘は消費税があろうがなかろうが108つで、そこがバカバカしくてなかなか良い句だと思います。
 
  私もささやかな抵抗として消費税が安いうちに本を少しまとめ買いをいたしました。本といっても何十万円もする本を買うわけではありませんから、本当にささやかな抵抗です。
  その中に、昨年の1月に岩波新書から発行されました「面白い本」という本があります。この本の著者は成毛真(なるけまこと)さんと言って、 1991年から2000年まで10年間マイクロソフト社の代表取締役社長をお勤めになられた方です。
  成毛氏が推奨する面白い本を100冊紹介してあるわけなのですが、その本の135頁から136頁に亘って、「様々な仕事」ということで手前ども長泉寺の本堂建立記『鵤工舎の仕事』(文藝春秋社)の本の紹介をいただいております。周知の通り、これは本堂が落成した平成20年10月に御檀家の皆様方全員にお配りをさせていただいた本です。
 
  岩波新書を手にして、この本が成毛氏の推奨する100冊の本の中に選ばれてあったということに非常に驚き、また大変うれしく思いました。以下に成毛氏の文章を紹介します。
 
さまざまな仕事(「面白い本」135頁から136頁)
  宮大工とは、寺社仏閣の建築、修復に関わる大工のことをいう。彼らが建てる寺社仏閣はもちろんだが、そもそも宮大工という存在自体が文化財といえるかもしれない。
  「鵤(いかるが)工舎の仕事-長泉寺建立記」(塩野米松著)は、法隆寺最後の宮大工と呼ばれる故西村常一氏を紹介した「木に学べ」(西岡常一著、小学館)で知られる作家の著作だ。本書は、2008年9月に落慶法要された東北最大規模の寺院本堂建立に関わった奈良の宮大工集団、鵤工舎の仕事ぶりを描いている。
  本書によると、この本堂は少なくとも数百年はもつという。しかし基礎は100年ほどしかもたないというのだ。なぜかといえば、昔の工法では建築許可が下りないため、やむをえずコンクリートにしたからだという。日本古来の建築技法のための必要条件を、今の建築の法整備が阻害しているのも不思議だが、そんな技術が時代を超えて継承されていることにも驚かされる。仏さまがお座りになる本陣の床は台湾製の檜で樹齢は3000年のものだ。
  本書は、棟梁のみに焦点をあてた本ではない。材木や基礎、左官、瓦など、さまざまな職人のエピソードも盛り込まれている。そこが本書を価値のあるものにしている。
  古来から伝わる寺社建築の機能美には終始驚かされどおしだ。歴史に残る仕事は、遙かな時代を超えてみせるのだ。
 
  だからどうだというわけではないのですが、より多くの方々にこのような立派なご本堂にお参りされる勝縁を結んでいただき、一層長泉寺に対して御信心を賜ればありがたいと願っています。
  また私も、皆様の御信心にお応えできる住職として更に弁道精進に励まねばと意を固くしています。
  新年度もよろしくご法愛賜りますよう心よりお願い申し上げます。ありがとうございました。
 
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢