宮城県角田市にある、曹洞宗・長泉寺です。いち早く環境ISOを取り入れ、環境活動を推進しています。

  おはようございます
  6月の雨の日の幼稚園は靜かです。暑い夏の雨降りならば勇ましい園児たちは裸ん坊で泥遊び、砂遊びに歓声をあげ、笑い興じるのですが、梅雨寒むの天気にはさすがに飛び出してくる子はいません。どうやら、お部屋の中で歌を唄ったり、お絵かきしたり、ゲームをしたりして遊んでいるにちがいない。
  6月の「こじか」(ミネ幼稚園の園便りのこと)を見ると、今月の歌は「かえるのうた」と「かたつむり」だ。幼稚園や家庭のみならず、どんな人とも一緒にうたえる歌を、と言う幼稚園の先生方のはからいらしい。毎月のお誕生会には誕生児の保護者(殆どがお母さんですが)の方もお祝いに来園され、その月の歌を全員で唄うのですが、それはそれは皆幸せそうな笑顔となり、幼稚園全体が嬉しい一日となります。
 
 
  ところで、さきごろ北海道で「しつけ」と称して、小学二年生の男児を山中に放置するという事案が発生しました。放置した時間はわずか5分間程のようでしたが、男児が無事発見されるまでには6日間の日数を要する世界的な大事件になってしまいました。

  その事の顛末を報じるニュースを観ながら思ったことは、ふだん家族といっしょにどんな歌を唄っているかでした。嬉しい時はもちろん、辛い時悲しい時に人は歌を口ずさむものです。この少年は6日間どんな思いでいたのでしょう?。叫んだり歌を唄ったりしなかったのでしょうか?。

  私など一週間も知らない山中に、しかも何の食料もなく放置されたら泰然自若(たいぜんじじゃく)として少しも騒がず、ゆったりと坐禅を組むなどと言うことは到底出来るものではありません。おっと、話が脱線しました。
 
  さて、幼稚園のお誕生会では「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」の歌を何の不思議もなく唄うわけですが、考えてみれば、「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」に代わる日本の歌、日本に於ける誕生日を祝う歌が無いというのも不思議なことです。ご先祖様に感謝する「お盆」や「お彼岸」の行事は毎年あっても、誕生日を祝う習慣はなかったのでしょうか?
  施設に入居している老母も89歳になりました。誕生日の歌を唄いながら、あと何回ハッピー・バースデーの歌を唄えるかと思うと、ふと諸行無常の言葉が浮かび、目頭を拭ってしまいます
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
  「西を仰げば臥牛の城趾、思い出永久(とわ)につきせぬところ・・・」とは、我が母校角田小学校の校歌の出だしです。ありがたいことにミネ幼稚園の園長として私は年に二度、角田小学校様よりお招きをいただき、校歌を歌います。一つは入学式、一つは卒業式です。ですから年に二回この校歌を歌っては小学校時代の楽しい思い出にひたる喜びを味わさせていただいております。
  ところが最近、入学式ではこの校歌を歌わなくなりました。代わりに角田市民歌を歌うようになり、この市民歌の中にはお城を称える言葉がなくなりました。

  角田城趾は小高い丘の上にあり、寝そべっている牛の姿に似ていることから、臥牛城跡と言われていますが、角田にはいわゆる天守閣を有するお城はなく、いわゆる舘(要害)であります。
 
  子供の頃から「いいかお前ら、宮城県というのは仙台県と角田県の二つが一つになったのだ。なぜそうなったかというと、私たちの郷土角田は仙台藩伊達一門筆頭の石川公のお膝元なのだ。そういうところにお前らは生まれ育った。ここで一生懸命勉強して角田城趾のところに、あの丘の上に建っている角田高校で学んで故郷に錦を飾れ。」そう言われて、角田に生まれ育ったことを矜持として、あぁ、自分は立派ないいところに生まれたんだな、と言う誇りを植えつけられて育てられたのでした。

  角田高等学校の校歌は「臥牛舘内名に高き豊成閣のいしずゑを・・・」をというものでしたが、この校歌も先年、角田高等学校と角田女子高等学校が合併したことにより今は聞かれなくなってしまいました。寂しいことです。
 
   お城のある町で育った者にとっては、お城に対する特別の想いがあるのではないでしょうか?とりわけ、正岡子規ほど生まれ育った郷里のお城、すなわち松山城を大切にした人はいないと思います。『松山や 秋より高き 天主閣』この歌を正岡子規はお城の写っている写真の裏側に書き留め、死ぬまで終生肌身離さず身にしていたということです。この正岡子規に秋山好古、秋山真之を加え、三人を主人公として司馬遼太郎は小説「坂の上の雲」を書きましたが、その書き出しも松山城から始まっています
  さて、4月14日、4月16日と九州で大きな地震があり、特に熊本では甚大な被害にあわれております。テレビの映像で地震のため熊本城が噴煙を上げて屋根瓦が落ち、城の石垣が崩れるところが何度も放映されました。城下町に育ったものとしてはお城というのは自分のアイデンティティーでもあります。あの映像を見るたびに熊本の方々は精神的にも非常な困難な状況の中で今ご苦労されていることが伝わってきます。被害に遭われた熊本の人々の窮状を、熊本城がまるで切々と訴えているようです
   心からお見舞い申し上げますとともに長く続く余震が収まり、一日も早い復興が成ることを願うばかりです。舘とは言え、お城のある町で生まれ育ったものとして角田の皆様方のお力をお借りして熊本の方々の一助となるべく托鉢をします。ご協力をお願いします
 
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
  待ちに待った桜が咲きました。3月27日の日曜日、朝、鐘を撞きに行きますと鐘楼のすぐそばの桜が開花をしていました。これが今年の長泉寺桜の開花でございました。
  早い開花はうれしいけれど、4月8日の花祭り、それから4月10日に予定している幼稚園の入園式の日までこの桜がもつかなぁというのが最初の感想でした。
 
  なぜなら、この時期には「月に叢雲花に風(つきにむらくもはなにかぜ)」という言葉があるように、3日に1度は強い風が吹く季節でもあるからです。桜の花の1枚の花びらも散ることなく、可愛らしい子供たちがまた大勢幼稚園にやってくる、その目出たくも誇らしい入園式をお祝いしてほしいというのが幼稚園の園長をつとめている私の思いでもありました。
  桜というとどうしても花見というイメージが強く、花見になりますと賑やかにドンチャン騒ぎ。以前は長泉寺にもいろいろな方がお参りの次いで、夜遅くまでにぎやかに花見をされていた記憶がありますが、最近は方々に花見が出来る公園が整備され、お寺にいらっしゃる方がほとんどおりません。それはそれで静かなことでありがたいのですけれど、桜景色のお寺の風景を無言で一人で撮りにくる方々ばかりでなく、お友達と仲良く楽しくおしゃべりをしながら桜をご覧になりに来ていただければなと思います。夜のライトアップもいたしますが、とは言え夜遅くまではご勘弁をお願いをいたします。
 
  ところで御法名の中にいろいろな草花あるいは木々の字が入ることがありますが、考えてみますと松とか竹とか梅とか、また菊とか蘭、蓮などの字は多いように感じますけれど、桜と言う字は意外に少ないように感じます。「花の色は濃きも薄きも紅梅」と枕草子にありますように、花ではやはり昔から梅というのがいちばん人気なのでしょう。NHKの朝ドラマ「あさが来た」でも、主人公の白岡あさが夫の新次郎さんとの結婚40年を記念して庭に植樹したのも桜ではなく梅でした。
 
   ともあれ、桜は咲くのも嬉しいが散るのも美しいと、日本人には独特の美学があって、なかなかややこしいものです
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢
 

  おはようございます。最近三つほど嬉しいことがありました。
  一つ目、3月1日は宮城県にある県立高校の卒業式が行われた日です。私の母校である角田高等学校でも卒業式が行われました。
  その日の夕方、あるお婆さんがお孫さんを連れてお寺を訪ねてこられました。何のご用かなと思っておりましたら、何とそのお孫さんとはミネ幼稚園を卒園したA君だったのです。A君は「園長先生、おかげさまで高等学校を今日卒業して大学に行くことが決まりました」と恥ずかしそうに報告をし、お婆さんが持っていた風呂敷包からお赤飯を出して私に差し出しました。12年ぶりに会う笑顔からは幼稚園の頃のあのあどけない顔は消え、たくましい青年になっていました。「やぁおめでとう!」。その日の夕食は、A君のお赤飯で家族でお祝いをさせていただきました。
 
  二つ目、この度ある家のお爺さまが80歳でお亡くなりになりました。ご葬儀に行きましたら何とそこのお孫さんはこれまたミネ幼稚園の卒園児で、しかもA君と同じく今年角高を卒業したB子さんでした。B子さんも山形にある大学への進学が決まっておりました。
  「残念だったね。こんな時にお爺さんが亡くなって寂しいね」と私が声をかけますと、「寂しくて悲しいですが、元気なうちに大学の合格を報告することができたのでほっとしています」と返事をし、その後に次のように言葉を続けました。「私ね、園長先生が晋山式でお寺に入る時、稚児行列に加わって園長先生と一緒に撮った稚児行列の写真とビデオを大事にしてるよ」。こう言われ、私はビックリしました。平成14年、先住職の一周忌法要に併せ行った私の晋山式で稚児行列をしてくれたお友達がもう大学に入る歳になったのだと歳月の流れに驚き、そしてその事をいつも心にかけていてくれたB子さんに感謝をしました。
 
  それから三つ目の嬉しい事がありました。それは今から約20年ほど前、私は保護司という仕事をさせていただいておりましたが、その時出会った女の子に、その女の子のお母さんのお葬式の時に出会いました。「なんだか恥ずかしくて言えなかったけど奥野先生だよねぇ」。そう声をかけられて、?と思ったら何と彼女はなんと私が担当していた女の子のお友達だったのです。「私たちがぐれていた時は先生に大変お世話になりました」。そう声をかけてくれました。「ん…君達がぐれている時、お母さんはどんな気持ちだったかなぁ」と話をしたら、コトコトコトコトと涙を流しました。「どんなところで出会うかわからないね」と、いろいろお話をさせていただきました。
 
   3月は別れの季節ではありますけれど、新しい出会いのスタートの季節でもあります。みんな、それぞれの道でそれぞれに活躍してほしいと思いました。
 
  今日3月11日は東日本大震災より5年目の日。震災の年に生まれたこども達はもうすぐ「3才児・年少組」を修了し、震災2年前に生まれた子ども達は来る3月15日にミネ幼稚園を巣立つことになります。54回目の卒園式です。
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
  先日、ある人から誘われて「餃子の王将」というお店に入りました。初めて入るお店です。外食する店にあまり入ったことがないものですから、珍しくて店内をきょろきょろと見回していたところ、厨房に「整理整頓」という貼り紙が貼ってありました。その隣に何と読むのか、「定物定位」と書いてありました。
  あれはどういう意味なのかな?、皿は皿を置いてあるところに、丼は丼のあるところに、物は決められたところに後片付けをして、次の人が使いやすいようにしなさいと、そういう意味なのかなと思い、食事をいただいた後に、レジで支払いをする時、店員さんにあの張り紙はどういう意味なのですかと尋ねました。すると店員さんは、何と表現したらいいのかわからなくて困っている顔をしておりましたので、前述したように小皿は小皿があるところに丼は丼のところにという風に決められた所に洗い終わった食器を片付けるのですか?そういう意味ですかと聞きましたら、そうですと応えられました。
  私たちの道元禅師がお書きになられました書物の中に、「典座教訓(てんぞきょうくん)」というお示しがございます。これは禅寺で厨房に立つ修行僧の心構えについてわかりやすく道元禅師様がお示し下さった書物です。その中に「高処は高平に、低処は低平に」という言葉があり、同様に、高いところに置くべきものは高いところに、より低いところに置くべきものは低いところに後片付けをして整理整頓をしなさい、いつも使いやすいように片付けておきなさい、そういう意味です。
  修行というと、ややもすると私たちは坐禅をしたり何か特別な行をすることであって、そのような行が大事であって、ご飯を作ったりする「仕事」というのは軽んじる傾向にありますが、道元禅師におかれましては、私たちが日常行うこのなんでもないことに上下はないし、また行の高い低い浅い深いもないんだと言う事です。
  ご本山あるいは修行僧がたくさんいる禅寺に参りますと、いろいろな日常の仕事の役割を分担してやります。例えば「風呂当番」あるいは「お墓掃除」「ご飯炊き」です。そして、やはりどうしてもお坊さんたちは衣を着てご本堂で活躍をしたいという気持ちがあって、そのような仕事をおろそかにしたい気持ちなるわけですが、みんな一人一役、役に重さの高い低いはないとお示しされたわけです。
   「餃子の王将」さんでも整理整頓して器物を置く場所を決めるというところからさらに踏み込んで、「ご飯を作る人」「ご飯を配膳する人」「洗う人」あるいは「レジを打つ人」みんなそれぞれ一人一役みな同じ、その役割に高い低い、重い軽いはないということまで徹底しているのだなと、ちょっと嬉しく思って帰ってまいりました。
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
  ミネ幼稚園の入り口向かって右側、二宮金次郎の像の前に姿の良い松の木が1本、同じく向かって左側プールの側にも同じような松の木が1本、二本の松が園児を見守ってくれておりましたが残念なことに二本とも松くい虫にやられ、この冬休みを利用して二本の松の木の伐採をしました。


 

 
   冬休みが終わり正月早々幼稚園に戻ってきた子供たちは「アレなんだか変だな、何か変わったぞ」。そうです、松の木が無くなったことを幼稚園の子ども達も気づきました。保護者の方も気づきました。そこで幼稚園の子どもたちがお正月明けに初めてご本堂にお参りしに来た時、松の木を倒したわけのことを子どもたちにお話しました。「二本の松は、松くい虫の病気になって元気がなくなり、このままだと倒れて幼稚園のおともだちにけがをさせてしまう。病気から助けてあげられずゴメンナサイと言って松の木を手でなでてあげました。園長先生は涙が出ました…」と。すると子供たちは、「そうだ、じゃお寺のご本堂から幼稚園に戻る時、お寺の門を出て遠回りをして松の木にさようならを言おう」そうして園児たちも松の木と別れをしました。

 
   さて、天神町から以前の遠藤旅館さんと松川呉服店さん跡の角を西に折れて長泉寺の門までまっすぐ向かう道を昔の人はウグイス横丁と呼んでいました。それはウグイスが梅の枝にとまって鳴くことにかけて、お葬式の時には長泉寺に向かう道を通るわけですから、ご遺族の方々はその悲しみで「泣き泣き」、お墓に「埋め」に来る。それでウグイス横丁としゃれて言ったわけです。
   昔、そのウグイス横丁の中ほどに松月堂という美味しい和菓子屋さんがありました。その松月堂さんと長泉寺の山門の間の参道、そこは両側に広々とした田んぼが広がっておりましたので、その参道の両側に松の木をぞろりと長泉寺では植えて飾らせて頂き、そこは特に地元の方々から松原と言われる名所になりました。その松原の道のすぐ脇に大きな石の石碑が建っており、その台座が舟の形をしておりました。(根本培翁之碑)それでその台座を舟石と呼んで、その舟石をベンチ代わりにして、夏の朝といい夕といい、涼みに来る方がたくさんおりましたが、その松原の松は今回幼稚園の二本の松を倒したことで全部なくなってしまい、わたしが子供の頃から慣れ親しんだ風景とお別れをしました。
   こうやって自然も変わり、私も歳をとるのだなと、そうお正月は思いました。寂しくなりました

 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  あけましておめでとうございます
   皆様お揃いで良い春を迎えのこととお慶び申し上げます。本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
  さて今年は平成28年、西暦で2016年、「丙申(ひのえさる)の年」であります。丙申は赤猿とも言い、一名火猿であるとも言い灼熱の魂を持つ猿と言うことだそうです。エネルギーがあまって、馬が走り回り、猿があちこち飛び跳ねるように心の抑えが効かず、煩悩(ぼんのう)・妄念(もうねん)・情欲(じょうよく)等が制し切れない、いわゆる意馬心猿(いばしんえん)の年にならぬよう心引き締め気を引き締めて一年を過ごして行きたいと思っております。
  私は馬年生まれですから、尚更この申年にはこの意馬心猿の言葉を自制の言葉として胸にきざみ、隠忍自重の生活をすることにしています。
  ところで、猿で思い浮かべる諺(ことわざ)と言いますと、これはもう誰もがそうであるように「猿も木から落ちる」と言う言葉だろうと思います。同様の意味の諺は「弘法も筆の誤り」でしょうか?、ともあれ油断大敵との諺だろうと思います。
 
 
   この油断大敵でまた思い出されるのは、学校の時教科書で勉強させられた「高名の木登り」というお話だろうと思います。これは『徒然草』の第百九段にでてくる有名なお話で、木登り名人と言われる人が、ある方に指図して木登りをさせ、下から見て、高い所では声をかけなかったけれど、降りてくる途中、軒の高さくらいまで降りてきた時に「油断しちゃいけないぞ」と声を掛けた。つまり失敗というのは難しいところにあるのではなく、むしろ簡単で舐めてかかるようなところにこそあるのだと指摘して、それを見ていた吉田兼好はなるほどと感心したというわけです。
  これに似たような話で、ある方が仏の教えというのはなんだと聞きましたところ、「諸悪莫作(しょあくさくま)・衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)・自浄其意(じじょうごい)」と応えた。すなわち、「悪いことをしない良いことをするそして心清らかにする。これこそが仏の教えだ」と。すると、「なんだそんな事は子供だって知っているぞ」と返事をする。それに答えて、「それはそうだ子供の知っていることだと思うけれどもそれを実行するのは大の大人でも難しいぞ」と言われ「なるほど」と言ってそれに返す言葉がなかったと白楽天(はくらくてん)と鳥窠道林禅師(ちょうかどうりんぜんじ)との有名な問答が残されています。
 
 
  初心にかえり、生き方の基本を守る1年を過ごしたいと思います。倍旧のご指導とご支援をよろしくお願い申しあげ年頭の挨拶といたします。皆様方の幸せ多い一年になりますよう心からお祈り申し上げます。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
  暖冬とは言え朝夕冷え込みが厳しくなり、朝などは起きるのが辛く感じる日も少なくありません。
  さて、長泉寺では朝6時と夕方5時に鐘を撞いております。周知の通り、鐘楼は高さが4~5メートルのところに床があり、人が立って鐘を撞く形式になっています。ですから鐘楼に登って鐘を撞く時に北風が吹くと寒さを感じます。鐘は1声大体2分間隔で九つ撞きますから16分ぐらいかかります。
  鐘を撞く担当のお坊さんは寒いので早く鐘を撞き終わりたいと思うのでしょうか、2分間隔が少し狭まりまして狭まると同時に鐘の音も低くなってしまい早く終わりたがります。そこで私は下から大きな声で怒鳴るわけです。「もっと鐘を大きく撞け!」。病院で入院をしておられる方、施設に入られているお年寄りの方、みんなお寺の鐘が鳴ったなぁ今日も一日が始まるなぁ、今日も終わったなぁと、そういうふうに鐘を聞いている方もいらっしゃるのだから精一杯大きく、皆さん頑張ってますか、元気ですか、そういうつもりで鐘を撞けと下から大きく怒鳴るわけです。
  けれど、お坊さん達も忙しいのでしょう、早く鐘を鳴らしてしまい、「届かなかったよ」「聞こえなかったよ」と言うようなお叱りが届くようになってしまいます。お恥ずかしいことですが、ご迷惑をかけております。
 
 
  さて12月31日大晦日がやってまいります。今年の締めくくりを長泉寺の鐘に込めていただき、除夜の鐘をどうぞみなさんも撞きにきてほしいと思います。そして新しい一年を潔い気持ちでお迎え下さるようお待ちしています。温かい甘酒や年越しそば、そして紅白の鐘もち大福を準備して皆様方のお出でをお待ちしております。
  今年1年、長泉寺のホームページをご覧いただきました皆様方に御礼を申し上げます。良いお年をお迎えください。ありがとうございました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
  一昨年の秋、ここ長泉寺にて曹洞宗宗立専門僧堂が開催された時の話です。ある名のある御老師様が講師として長泉寺にお越しいただき、私はその御老師様の身の回りのお手伝いをさせて頂きました。
  御老師様は、「これは私が若い頃、禅師様に頂いた着物を着る時の腰紐だ。長いこと使ってこのようにずいぶん傷んでしまった。」見るともう紐はボロボロに傷んで色も褪せたボロ紐でした。「古くなったのでこれを屑かごに捨ててくれ」と私に手渡しました。私は、はっとして「御老師様、これを私が頂戴してもよろしいでしょうか?」と申しましたら、「捨てたのだからお前の勝手にするが良い」と言われました。捨てるのであれば、わざわざ長泉寺までそれを使って着物を着て来るはずがありません。ですから、これは御老師様が私に下さるために意図的に着けて来た物なのだと私は直感的に感じたのです。
 
  つまり、腰紐がこのように擦り切れるほどになるまでお前は修行しないといけないと言う温かい策励と私は思ったのです。
 
  さて、この1年を振り返りますと、私はどれほど勉強をし、どれほど修行したのか、非常に恥ずかしく思います。
  来年こそはと思ってはみても、来年の年の瀬には、また今年と同じように反省するばかりの一年になりそうで、新しい年を迎える前から何とも面目ございません。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
  今年の夏は毎日毎日とても暑くて皆様方も夏を過ごされるのが大変だったと思います。お寺のお坊さんたちも毎日毎日、顔を赤くし汗を拭き拭き境内を掃除しておりました。そこで、せがまれてTVショッピングでお馴染みのジューサーを新しく求めて、ご本尊様からお下がりの果物をジューサーでジュースにして頂くことにしました。届いたその日は、一同、輪になり箱を開ける手もうやうやしく、早速試しては「ウォー!TVの画面と同じだ」などと歓声をあげ、お陰で元気に過ごすことが出来ました。
  ところが、あの暑さを忘れるほど涼しい秋が早くやって来て、ジューサーの出番は激減。今度は寒くなり、またリンゴやミカンなどのたくさんの果物が仏様にお供えされ、そのお下がりをジューサーでジュースにして、また飲ませて欲しいなぁとおねだりしたら、「方丈さんジューサーの季節はもう終わりました」とお手伝いの和子さんのつれない声に凹みました。見ると大掃除が終わった台所の片隅に、ご法要会食のお膳を包んでくるビニール袋を被ったジューサーが、ひとり寂しく座っておりました。
 
  さりとて私もジューサーを飲んだ後の後片付けが大変なことを知っておりますので、仕方がない来年の夏まで冬眠させようとジューサーを寂しくなでました。そして、「冬眠を永眠にさせないで!」と女性軍をにらみましたアハハ。
 
 
  寒くなる季節、また年末年始の忙しい時期を迎え、風邪などで感染性の病気あるいは自動車の運転、暖房器具の取り扱いなど健康・事故に気をつけて良い年の瀬を迎えてほしいと思います。
  失礼をいたしました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
  少しの間エッセイを休ませていただきました。ご迷惑をおかけいたしました。
 
  さて去る9 月、ちょうどお彼岸頃ですが、縁があって鳥取市にある「心身めざめ内観センター」を訪れました。千石真理先生という綺麗な女性の先生のご指導下で、誕生から現在までの自分自身を見つめる内観をして帰ってまいりました。
  その内観センターは大変閑静な所で自然豊かな場所にあり、室内も純和風にしつらえたお家でした。私と一緒に内観の指導を受けたのは日蓮宗に在籍の若い僧侶の方でした。私と彼と2 人、別々の部屋で2 泊3 日にわたる内観をしたのです。非常に家族的な雰囲気で三度々、おいしい食事を提供していただき、リラックスした雰囲気の中で千石先生による懇切な指導を受けたわけです。
  内観というのは、そもそも浄土真宗の僧侶の吉本伊信老師という方により開発された一種の自己探究法であります。1番(してもらったこと)2 番(お返ししたこと)3 番(ご迷惑をかけた事)、この3 つのことについて自分と身近な人たちとの関係の中において過去から現在までのその事実を振り返るわけです。
  こういうことをしてもらった、こういうことをお返ししたと言うことを相手の立場に立って見直すと言う事です。今回、私は、私の母親、父親、妻そしてまた母親のことを内観して、そのつど千石先生と面接をさせていただいてお話をするということを2 泊3 日の間ずっと朝5 時に起床して夜10 時に就寝するまで繰り返し面接を受けたと言うことであります。そういたしますと、親は親なりに私に対して精一杯なことをしてくれた、また色々な人の助けがあったからここまで行き着くことができたという感謝の念が無意識のうちに呼び起こされ感謝だけ感じて帰ってまいりました。
  「大事にされている」「愛されている事」を心から実感できたように思われ心から幸福感に満たされ、私も他人の幸福のために何かをしなければいけないと言う心が自然と沸き起こったような気がいたします。
 
  周知の通り、私は1 人の僧侶としてたくさんの方のご葬儀をさせていただいております。その中で「あなたは今死んでも後悔ないですか?」「いつ死んでも後悔のないように」と口先だけで言うのではなく死にいく人の心の内面から救える、そういう僧侶になりたいと常々思うものの、僧として未熟なる者の悲しさ、その域に立てません。しかし今回の内観によって最後に頼れるのは仏様だよ。仏に出会うことができた人は幸せだよと自信を持って言えるお坊さんという立場に喜びを感ずる人になったような感じがします。

  まあ人生、世の中は諸行無常だと言われておりますが、この中で縁という不思議な縁(えにし)で今生かされている自分の命を後悔のないように生きて、安心して浄土にいける境地に私もなりたいし、他人様も導いていければと感じて帰ってまいりました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢