宮城県角田市にある、曹洞宗・長泉寺です。いち早く環境ISOを取り入れ、環境活動を推進しています。

    おはようございます。
    私は長泉寺の住職と同時にミネ幼稚園の園長も兼ねております。ですから、いろいろな時に、いろいろな方面の方から様々な質問をいただくことがあります。つまり、返答に窮するような質問ということです。
 
    最近、特に多い質問は銀座に位置する公立の小学校で、校長先生の判断によりこの4月新1年生として入学する児童からイタリアの有名ブランド「アルマーニ」の制服を採用する、しかもそれは8万円ほどの価格がする制服であるらしく、それが新聞その他で報道されましたから、それについて園長先生として住職はどう思うかと言うような質問です。幼稚園の保護者の方、また法要の会食にお集まりのお檀家の方々からお話をかけられますが、それには「基本的にはこれは当事者の問題ですから私にはわかりません」とお話をして、この話題からは逃げるようにしています。 
    またテレビのバラエティ番組で、お寺のお参りの仕方、お葬式の参列の仕方、神社のお参りの仕方、あるいはお盆の迎え方、仏壇でのお参りの仕方等々が放送されますと、地元の方々はみな素直な方々ばかりですから直ちに反応をされて、テレビではあぁ言っていたけれど本当のところはどうなのだろうかと、これまた電話なり、いろいろな場面で尋ねられ困り果てることがあります
 
    一口で申しあげますと、大変失礼ではありますが世の中は暇なんだなぁという一言に尽きます。当事者の問題ですからそれについて外野があれこれ言っても仕方のない話だろうと思います。『知らなかった、本当の仏事のしきたり』のようなテレビ番組は、所詮、テレビのバラエティですから、茶飲話程度のことであって深刻に騒ぎ立てることのない内容が多いように思います。けれどもこのように返答をすると、世間の人からはいい加減な返答をする住職だと逆に相手にされなくなる心配もあり、いささか面白くない気持ちになります。
 
    小学校の制服の件に関しては、本園の先生方にはこのようにお話をしました。
    ・・・かように、当事者以外のいわゆる第三者があそこの小学校はどうだの、あの校長先生はこうだのと、話しというものは尾ひれがついて世間で騒がれるようになるものだ。従って、うちの幼稚園としては、とにかく保護者との信頼関係を大切にして、幼稚園としてのふさわしい幼児教育それに徹して粛々と平穏無事にやっていくことが大事なのだと。・・・
 
    仏事もそうです。しきたりに縛られるあまり、供養の本来のこころを忘れてしまっては本末転倒です。自己流であったとしても心のこもった、そして心が安らぐ仏事やお参りをすれば作法云々という事はその次でよかろうと思います
 
    もしかしたら、私たち日本人は、いつの間にか価値観が一緒でないと不安になったり、あるいは同一の価値観を共有するように仕向けられているのではないでしょか?
 
    他人の事が気になる。そんな意識が昂じると、やがてニッポンは国民総オンブズマン的な世の中になるのでは...と空恐ろしくさえ感じます。ネット社会の弊害ですね
 
    さらに、鳴り物入りで登場した『広辞苑』第七版も、言葉の意味の解釈が違うなどと、いまやネット社会の達人たちを中心として、世論の袋叩きに遭いさんざんなようですが、昔ならばAの辞書ならBの意味はCですが広辞苑ではC‘ですかなどと比較して楽しむ余裕もあったのですが・・・。とにかく、明らかな間違いは別としてギスギスした世の中、ムズカシイ世の中になりました
 
    毎日毎日ゆったりと自分なりに最善をつくして生活をする。後は神様仏様にお任せするという、他人にはルーズに見える生き方もあっていいのではないかと思います。失礼をいたしました
 
 
 
 
 
 
 

長泉寺住職

 

奥野 成賢

 

  先日『洞谷記(とうこくき)』の研究会出席の次いで、上野で新幹線を下車して国立博物館へと歩いた。開催中の特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」を観るためである。博物館は予想通り混雑していたとは言え、平日の昼下がりということもあって待ち時間40分の案内ではあったが30分程の行列で入館でき、館内も大混雑と言うほどではなかった。運が良かった。
  だから、1041本の手があると話題になっていた葛井寺(ふじいでら)の千手観音菩薩坐像(せんじゅかんのんぼさつざぞう)も間近で、然もぐるり360°、じっくり丁寧に拝観することができた。ホール中央に坐するこの像に正面合掌すると、私には思わずマーラー的な音楽の調べが聴こえた(ような気がした)。ともあれ、菩薩様の背からピンと臂を伸ばし、限りなく遠くのたくさんの衆生(しゅじょう)の苦を救わんと差し出すその1041本の手に圧倒された。拝しているうちに、それは人間の中で生じては消え、消えては生じ、やがて増殖していく我儘な欲望、生き方の内容に対し、「これでは1000本の手でも足りないなぁ」と嘆きつつ救わんとする菩薩の悲痛な姿にも思えてきた。
  すると、急に千手菩薩坐像の景色が一変し、そこは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の世界となった。・・・
  遠い遠い極楽の天上から銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると地獄の血の池にいる自分の上へ垂れてくるではありませんか。犍陀多に遅れまいと数限りない罪人たちがまるで蟻の行列のようにやはり上へ上へ一心によじのぼって来るではありませんか・・・。助けてくれとすがる手にその1041本の手が変わって見えました。「申し訳ありません」。菩薩様にお詫びしてその場を辞した。
私が今回の特別展で一番に感動したのは、大阪・道明寺の十一面観音立像であった。平安時代8~9世紀頃の作らしいが、展示会のためガラスケース越しに立つ高さ100cmほどのその像は、秘仏とされる他の像よりも保存(?)状態が良いと思った。
  さて、ご承知と思うが、宮城県伊具三十三観音霊場第三十一番札所に指定されている我が長泉寺にお祀りされている観音様も同様に十一面観音菩薩である。残念ながら明治元年の祝融に遭い本来の像はうかがい知れない。現在は、その後に作られた立像、坐像合わせて5躰がお祀りされている。
  みほとけとはこのような方を言うのであろうと理屈抜きに感じたし、そうであって欲しいとも思った。私は無意識的に日常ふだんの自分自身を内省して、「すみません」「許して下さい」「ごめんなさい」と気弱く反射的に涙し、その場でうっかり頭を下げてしまった。すると、「お坊さんも見学に来てるんだね・・・」。そんな声が聞こえてきた。
 

長泉寺住職
奥野 成賢 





  おはようございます。

  毎日、厳しい寒さが続いています。ラニーニャ現象のせいでしょうか?今年はいつの年にまして雪も降り特に寒いような気がします。

  さて、寒い寒いと言っていますが間もなく節分がやってまいります。以前にもここで紹介したと思いますが、長泉寺の節分はいつの頃からかわかりませんが、年男の方々が各自スリコギを両手で持ち、福男が「福は内、鬼は外!」と掛け声をかけながら福豆を撒いた後に、「ごもっとも!」と大声で叫びながらそのスリコギを、豆を拾わんとする人(特に女性!?)の股に押し当てるという奇祭が伝わっております。
  現代の豆まきは、ややもすれば「鬼は外」と言って豆をまき、その豆をぽりぽりと食べるだけですが、むかしの節分には身近にある様々な疫病を追い払い、今年も実りの多い年になるようにという切実な現実的願いと子孫繁栄の願いがあり、長泉寺の豆まきにはその熱い心を感じます。
  今年の長泉寺の節分豆まきは、2月3日(節分)、土曜日の夕方3時からです。どうぞ皆様も多数お越しいただき、今年の厄落とし、五穀豊穣、子孫繁栄を祈願していただきたいと思います。
  お菓子等もたくさん用意しております。お待ちしております。
  もちろん、福豆に心願成就のパワーを封ずる祈祷法要にもしっかり参列して下さいね!。
 
長泉寺住職
奥野 成賢


  あけましておめでとうございます。
  みなさまおそろいで、よい春をお迎えのこととお慶び申し上げます。
  今年はいぬ(戊)年。「犬も歩けば棒に当る」の年です。最近はこれを犬でも人間でも出しゃばると思わぬ痛い目に遇うから、おとなしくひっこんでいる方が無難だと理解する人が増えているようですが、もともとの意味はどうなのでしょう?。
  『広辞苑』に拠れば、物事を行う者は時に禍いにあうというのが本来の意であるが、やってみると思わぬ幸いにあうの解釈が広く行われるとあります。
  禅門では「棒」と言えば坐禅中に老師から肩を打たれる棒(警策)のこと。意地悪の棒ではなく策励としての修行のはげましの棒。だから、見込のない僧は棒にも見放される。棒に当たることは災難どころか望外の幸せなのです。

  今ご尊家皆様方の益々のご健康とご活躍、ご繁栄、ご発展を心よりお祈り申し上げます。

長泉寺住職
奥野 成賢

 
 
 

  おはようございます。
  六月より長らくのお休みをいただいていた長泉寺の梵鐘ですが、ようやく撞木の修理が完了し、再び皆様へ鐘の音をお届け出来るようになりました。
  11月25日の夕方5時から調整のための鐘撞きを再開し、12月1日朝6時より正式に朝夕の鐘を鳴らす事といたします。毎年恒例の大晦日除夜の鐘は12月31日午後11時からとなります。昨年同様、多数の方のご来山ご参加をおまち申し上げます。
  なお、新しい撞木は坐禅堂屋根瓦工事に伴い伐採された、いわゆる道悟桜の幹を利用したものです。梵鐘の一音、一響、その桜を知る者にとっては感慨深い音色となることと思います。
  さて、私事ながら秋頃より体調がすぐれず、お檀家の皆様には元気なそぶりで接する努力をしている一方、午後には体力の風船がしぼむように布団に横になる生活が続いています。加齢と言えばそれまでですが、何とも情けないことです。
今回は、次の文章を引用させていただき、読者の皆様のお許しをお願いするばかりです。
 
 

  例えば初詣で。お賽銭を投げながら頼みごとだけ山ほどしていないか。何かの寄付をする。寄付者名や寄付額が発表されるかされないかで、寄付額が大きく変わる。寄付とひきかえに名誉を買っていることになっていないか。車中で席をゆずることさえ、「ありがとう」の一言の礼を期待している。まぎれもなく貪りの心である。

  一歩進めて「貪らずとはへつらわざるなり」と説かれる。貪りの心の奥にわが身かわいい思いが居すわり、そのためのへつらいである。諂笑といって、笑うことにさえへつらいがまじりこむ。道元禅師はそこを見逃さない。禅師の秀徹した眼に照らされ、こころして新しい年を迎えたい。

青山 俊董 著『あなたに贈る 人生の道しるべ: 続・ことばの花束』(春秋社)より
青山老師は愛知専門尼僧堂堂長。曹洞宗師家会会長







長泉寺住職
奥野 成賢

 

 
  おはようございます。
 
  先日(8月23日)、東京ビッグサイトで開催中のエンディング産業展を見学してきました。その様子の一部は当日のNHKニュースによりテレビで紹介されました。世間での関心の高さが伺えますが、展示タイトルの示す通り、それはあくまで葬儀に関する「産業展」であって宗教とは切り離されたものであり、それはそれで興味深く見学してまいりました。
 
  まず第一に来場者の多いことに驚かされました。大別すると、①業界関係者、②僧侶など寺院や教団関係者らしき者多数、③一般、④ひやかし、になります。エンディング関係の産業展ですから仏式のみならず神式、キリスト教式、その他の宗教式とあってしかるべきと思うのですが、大部分が仏式関係の展示ブースばかりでした。また創価学会、立正佼成会、幸福の科学等々、明治期以降の比較的新しい教団関係に関する特別なブースは見当たりませんでした。
  理由としては、新しい教団に於いてはそれぞれの教団内部で市場が確保されており、新規参入する隙がないからではないでしょうか。
  第二に、各ブースを見ると、①法具(仏具)関係、②石材関係、③霊柩車関係、④納棺関係(棺、納衣、骨函、骨壺等)、⑤写真関係、⑥遺体一時保管関係(冷蔵庫、冷凍庫等)、⑦祭壇周囲関係(仏壇、祭壇、生花、照明、音楽等)、⑧IT関係、⑨遺言書関係、⑩仏事相談コーナー、その他となります。
  まるでおもちゃ箱をひっくり返したようににぎやかで多種多彩。これまでの伝統的な品々を無理矢理斬新的な色彩やデザインにしたものがずらりと並び呆気にとられてしまいました。けれども意味的にはそれらの物は昔と今と大同小異でほとんど変わるものでなく、特に惹かれるものではなく残念に思いました。
  僧侶の格好をして、たどたどしい発音で般若心経を読経するITロボット君がいましたが、そこにこのエンディング産業展が象徴されていたように思います。
  すなわち、エンディング産業に宗教は不在。むしろ不要と言うことです。セレモニーに珍しさだけを添えるだけの産業展だとすれば何と底の浅い業界なのだろうかと残念です。
  むしろITロボット僧侶は、現代の我々僧侶に対するブラックジョークだと考えれば、私達はこれを真摯に受け止めなければなりません。つまり、修行のあとがその後の僧侶としての生き方に滲み出る僧侶、仏心、慈悲心のある僧侶、そしてお経の上手い、仏教のことなら何でもお話できる僧侶になるべき努力を不断に怠ってはならぬことを自戒すべきでありましょう。
  この意味で、唯一、浄土真宗(西)本願寺のブースがあってお寺や僧侶に対する意識調査のコーナーを設けていたのには嬉しさを覚えました。こういう場においてこそ私達僧侶は私達を取りまく社会から学ばなくてはならないとする姿勢が見てとれました。姿、形だけのお坊さんでは生きていけない時代です。既成仏教のお坊さん達がもっと来て欲しかったエンディング産業展でした。
 
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

 

  お寺の観音講の講員の方々30名を引率して日光東照宮を参拝してきました。
  さいわい天気にも恵まれ、親切な巫女さんの案内で美事に修復された陽明門をじっくり拝観させていただきました。
  さて、二層建ての陽明門の中央には高欄と呼ばれる欄干があり、「唐子(からこ)遊び」と言われる有名な子供の彫刻が横一列に並んでいます。中国風の服を着た子どもたちが、鬼ごっこやジャンケン、木馬遊び等々、楽しく遊びに興ずる姿が生き生きと彫られています。
  遊ぶ子供の姿は平和な世のシンボル。それを彫刻で表現することによって、未来永劫、人々が平和に暮らせる社会を作り上げることが徳川幕府の目指すところとアピールしたとのこと。巫女さんの説明に一同感服しました。
  時代は変わろうとも仲良く遊ぶ子供の姿は平和のシンボル。とくに幼稚園生活の中にあっては遊びの中に学びの全てが含まれています。子供の遊びは生活そのものです。
   私達も徳川家康公になった気分で、いま一度子供の遊びの価値を見つめ直し、清らかな心で正しく生き、自分自身に誇りを持つ人間になれるよう子供を育てて欲しいと思います。
  そのためには、私達大人は子供たちが安心して仲良く遊べる環境作りに努力する義務があります。子供の「いじめ」の責任は学校だけにあるのではなく、私達一人一人にあることを改めて痛感した陽明門拝観でした

 

長泉寺住職
奥野 成賢
 

 
  おはようございます。
 
  梅雨のこの時期、丸森駅から福島県の兜(かぶと)駅に至る、いわゆる阿武隈川渓谷を阿武隈急行線に乗って電車の一人旅をするのが好きです。
 
  古くなった車両がガーガーと喘ぎ声を出しながら車輪の音をギーギーと立て電車は阿武隈川渓谷を縫うように走っていきます。「五月雨をあつめてはやし最上川」ではありませんが、こちらの景色もなかなか良いものです。東京の方へ出かける時には私は殆どこの阿武隈急行線を利用して角田から福島駅までの約1時間の旅を楽しみにしているのです。
 
  私の長男が小学6年生の晩秋の頃、丸森駅のすぐ隣に住む先生のお家へ独りで電車に乗って遊びに出かけたときの話です。
  やがて夕方になり、その帰りどうしたわけか角田に帰る電車と福島行きの電車と間違えて乗ってしまい丸森駅の次の「あぶくま駅」ではっと気がついたのでしょう。でもそこは無人駅であたりも淋しいし、子供ながらここで下車したらまずいと驚いて、次の兜駅に着いたら辺りには民家が見えるので、ここで車掌さんにお話をして下車をし、近所の家に助けを求めて入りました。
  そうしたらそこのSさんは親切な方で、わざわざお寺へ「あなたの息子さんを保護しております」と電話を入れて下され、そこで我が家は大騒ぎになった事件がありました。そんな事をなつかしく思い出すのもこの景色の中なのです。
 
  いま、長男は2児の父親となり、長女は幼稚園の年少組です。この子供達も大きくなるまで、またいろんなハプニングを起こすことがあるかもしれません。そんな時、自分も小さな頃にビックリ小旅行をしたっけと、父親となった長男も思うに違いありません。
  ともあれ3人の子ども達がそれぞれに小さな時には私も子育ての良い経験をさせてもらったとなつかしむ年齢となりました。
 
  私も自然を眺めながら色んな事を思い出したり、考えるのが好きになりました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

 
 
 

 
  おはようございます。
   山門をくぐりお寺の本堂に向かって参道右側に樹齢何年になるかよくわかりませんが、百日紅(さるすべり)の木が一本立っております。昨秋すす病という病気になったと庭園を管理されている植木屋さんから教えられ、「なんとか生かして下さい。」とお願いしました。そうしたら、すす病にやられて真っ黒くなったその樹皮をこともあろうに年末の寒くなった時期に全部剥ぎ取り、まるで因幡の素うさぎのようにされてしまいました。


 
   これで一体大丈夫なんだろうか?寒さで枯れるのでは?と私は非常に心配をしました。病気で元気が無くなった枝なども若干切りとられてしまったからです。けれども桜の花が終わる頃から少しずつ枝の先から芽が吹き出て、今では今年もこれでは花を咲かせるかなと言うほどに葉が勢い良く出てきました。。

 
   以上は、臨床仏教研修講座で神仁先生から教えていただいた話です。ですから私たちも人とお話をする時、あるいはいろんな動物とお話をする時、また最近はやりの「傾聴」と言われる聴き方とは耳だけでなく五感を集中して聞くことです。その癖をつけてみましょうとお話をさせていただきました。心を通わす聴き方、また話し方も同様と思います。
 
   ですから、お墓やお仏壇やお寺にお参りした時にもただ無言でご先祖様や仏様に手を合わせるのではなく、「ご先祖様や仏様とお話をしてみましょう」「ご先祖様や仏様の声を聞いてみましょう」と言うお話をさせていただいたのです。そうすると必ず私たちはご先祖様や仏様とお話が出来、同じ境涯に立つことができて、ここに私だけが一人で生きていると言うのではない。ご先祖様、仏様の力で今ここにこうして生きている、その感謝が私たちに生まれてくるような気がいたします。
   専門の方はさすがだなと驚くばかりと同時に、瀕死の状態になっても植物はこんなにも生命力があるのだと、つくづくその百日紅の生命力に感動しています。

   また、その隣には、もう半分以上幹が腐れてまるでやせ細った老人のようになった桜の木があり、その桜も毎年花を咲かせてくれます。二本とも幹を支えの棒でつっかえをしなければ倒れそうな木ですが、植物の命というか、自然の命というものはすごいものだとただただ驚くばかりです。
 
   その木々を見るたびに最近「終活」という言葉をよく耳にしますが、私たちの終活というのは一体どういうことなのかなと考えてしまいます。

   失礼をいたしました。
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

 

 
  おはようございます。
  新緑のいよいよ美しい季節となりました。朝早く目覚めてみますと色々な小鳥のさえずりがあちらこちらから聞こえてまいります。鳴き声のする方を見ても鳥の姿は見えません。しかし色々なさえずりの音が聞こえて参りますから色々な種類の鳥が森には住んでいることがわかります。さえずりの声を聞いてこれはなんという小鳥の声か、どんな意味のさえずりなのか、それがわかれば楽しいし嬉しいと、そう思うことがあります。
  さて先日観音講の集いがございました。その中で「聴く」と言う字についてお話をしました。これは耳へんの聴という字、視聴覚の聴という字のお話です。耳へんに作りのほうの上には十という事を書きます。これは心のアンテナを表しています。その下の漢数字の4に見えるのは目を横にした字です。そして、その下に一、その下に心と書く。つまり耳だけではなく心のアンテナを立てて、目、心、そういう五感を一つに集中して聞くこと、これを聴くというお話をしました。
  以上は、臨床仏教研修講座で神仁先生から教えていただいた話です。ですから私たちも人とお話をする時、あるいはいろんな動物とお話をする時、また最近はやりの「傾聴」と言われる聴き方とは耳だけでなく五感を集中して聞くことです。その癖をつけてみましょうとお話をさせていただきました。心を通わす聴き方、また話し方も同様と思います。
 
  ですから、お墓やお仏壇やお寺にお参りした時にもただ無言でご先祖様や仏様に手を合わせるのではなく、「ご先祖様や仏様とお話をしてみましょう」「ご先祖様や仏様の声を聞いてみましょう」と言うお話をさせていただいたのです。そうすると必ず私たちはご先祖様や仏様とお話が出来、同じ境涯に立つことができて、ここに私だけが一人で生きていると言うのではない。ご先祖様、仏様の力で今ここにこうして生きている、その感謝が私たちに生まれてくるような気がいたします。
  さて名古屋にあるお寺(桂芳院)に愚痴聞き地蔵がお有りになることを知りました。お寺の片隅にその小さなお地蔵さんは静かに立っておりまして、周囲からは見えないように工夫されていたように思います。夜になると会社帰りの人などがお地蔵さんにお参りにあらわれ、座っていろいろなその日の出来事やあるいは面白くないことをお地蔵さんに向かって愚痴るわけです。人生を語るわけです。お地蔵さんのそばには柄杓があって、その柄杓でお水をかけそしてお地蔵さんに手を合わせて何かを願う人もいます。そして、ややしばらくお地蔵さんとお話をして心がすっきりとして帰られるようです。こんな愚痴聞き地蔵さんがあるお寺の様子を何年か前にテレビで拝見しました。このようなお地蔵さんが長泉寺にも来て欲しいと思っておりますが、まだ愚痴聞き地蔵さんは長泉寺にはおいでになっておりません。
  「仏仏不言」と書いて、ぶつぶつ言うなと言いますが「仏仏言う(ぶつぶついう)」こともまた大切な事だと思います

 

長泉寺住職
奥野 成賢

 
  おはようございます。
  長泉寺の坐禅堂のすぐ前に一本の桜の老木が立っています。私たちはこれを道悟桜と呼んでいます。道悟桜の名前の由来について私はよくわかりませんが、道悟と言う方は38世黙庵道悟(もくあんどうご)大和尚様のことであろうかと思います。道悟和尚様は明治27年7月にお亡くなりになられていることが記録でわかっております。
  この方丈様が植えたのでそんな由来の名がついた桜なのかと私は勝手に考えております。ともあれ長泉寺の桜で一番早く、しかも冴え冴えしたピンク色の見事な花を咲かせてくれる大切な桜の老木です。
  しかし近年ますます木が年老いてくるのが素人の私にもよくわかり、庭を管理されている庭師の方からは「方丈さん、早くこれを倒さないと坐禅堂の建物を壊したりあるいは場合によっては風で飛ばされて大切な本堂を痛めてしまいますよ」と処分を毎年のように促されております。けれども見事なその枝ぶりと花の美しさに、いつも春の季節になると「どうしたらよいものかなぁ」と迷っては、「いやいやまた来年咲かせてくれるのを楽しみに待ちたい」。そう思い、倒すのを断念しております。
  今年も桜の季節が終わりました。花が散った後には青々とこの道悟桜は他の桜と同じように綺麗な葉をその木にしたされております。
  さて坐禅堂の瓦は6年前の震災の時に大部ずり落ち、屋根の下地も痛んでいるように思い検査をしていただいたら、「やはり屋根替えの時期ですね」と大工さんに言われました。「屋根替えをする時にはこの桜を切らなければなりません。先代の方丈様が昭和54年にこの坐禅堂を再建した時に、この桜を保存しようと思ったのでしょう。桜の幹に屋根が当たらぬようにしたために軒が少し短いです。だから少し強い風雨が降った時、あるいは台風の時など雨が坐禅堂の中に入りやすいんですよ。この桜を倒してもっと軒を深くしないと坐禅堂が大変なことになります」。このようににも大工さんに言われてしまいました。
  毎日庭に出ては、この桜と「どうしたら良いかなぁ」とお話をするこの頃です。
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  先日、鐘をつく撞木を吊している鎖が切れて朝夕の梵鐘を1週間ほど休ませていただきました。ご周知の通り、現在の梵鐘は2001年に21世紀平和祈念鐘という名称で新しく鋳造した梵鐘です

  ですから、計算をしてみますと2001年から2017年まで16年間梵鐘をついて来た撞木の鎖ということになります。今回どうした拍子か鎖が切れ、皆様方にはご迷惑をかけましたが、1週間のお休みをいただき新しい鎖に換え撞木を吊り直し、また朝夕鐘を鳴らしております。
  ところが撞木が梵鐘にあたる角度や位置が今までと変わったのか、どことなく鳴りがいまひとつ思うように鳴りません。あれこれ工夫しておりますが、まだ一定の音色で鐘を鳴らせないでおります。申し訳ないことだと思います。
 
  考えてみればその日の天気、温度、湿度、あるいは撞木を振り上げ振り下ろす力の具合、また撞く人の感情と申しますか心の置きどころの具合で鐘の音色が違うように思います。ともあれ毎日同じような音色と響きで鐘を撞くという事は大変難しいことだとつくづく感じております。
 
  さて道元禅師が著した『普勧坐禅儀』には「坐禅は習禅にはあらず」という有名な言葉が出てきます。この言葉は「坐禅とは戒・定・慧の三学の定の坐禅ではないぞ。また六波羅蜜の禅定の禅ではないぞ。悟りを得ようとする坐禅でもなければ心を静めようとする坐禅でもないぞ。」という意味でありましょう。
  そうであるが故に、いはゆる禅定と言われるような習禅を離れてさらに正伝の坐禅を組むと言うことはなかなか私どもには難しいことです。むしろほとんどが習禅の気持ちで坐禅をしている有様ではないかと自省するばかりです。
 
  朝夕毎日鐘を撞いていても同じ音色で鐘が鳴らない。毎日行じていても同じ坐禅ができない。難しいことだと思います。しかし、だからこそ毎日鐘を撞き、毎日坐禅を組む理由もそこにあるわけです。先年、おかくれになられました永平寺の宮崎奕保禅師は、「毎日がまねごとの坐禅だとしても一生まねごとの坐禅をすれば本物の坐禅になる」とお示しされました。ですから、やがて本物の坐禅になるかどうかは毎日のこの日々の勤めの日にあると私もそう信じて生きている次第です。
  桜の花も綻び始めました今年も佳い季節が巡ってまいりました。
 
 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

 
  今回は、去る3月11日に開催しました「東日本大震災七回忌追悼大法要」の際の講演「今の私に出来ること」(大沼 敏修 先生(角田市高倉在住 67才))の講演内容を掲載させて頂きました。
  下記画像をクリックすると講演内容を閲覧頂けます。
 

 
 
 
 
 
 
 

長泉寺住職
 
奥野 成

  おはようございます。
  お寺の境内の梅の花もほころび始めました。とは言え朝夕はまだまだ寒さが厳しく昨日などは囂々と風が吹き、朝の鐘を撞く時には鐘楼から飛ばされるのではないかと心配いたしました

  さてこの季節の言葉に三寒四温という言葉がありますが何を基準にして三寒四温というのかが私にはよくわかりません。ともあれ寒い日や暖かい日を繰り返しながら冬と春が綱引きをしながら少しずつ春がやって来るという意味なのでしょうか。夜が明けるのも早くなり6時の鐘を撞く時には散歩をする人影が見えるほどになりました。
  さて先日テレビを見ておりましたら福島県の郡山市に「いぼなし梵鐘」呼ばれる鐘があることを知りました。ご存知のようにお寺の鐘には、ぼつぼつとイボのようなものが鐘の上に付いております。その数は108ちょうど除夜の鐘の数と同じ数がついています。そのぼつぼつがない鐘が郡山市の如宝寺にあって、それは国の重要文化財に指定されているということを知りました。まだ拝見をした事はありませんが、是非そこのお寺にお伺いをしてどんな音がするのか聞いてみたいと思います。
 
  と申しますのは鐘を撞いていてわかることですが、天気に音は非常に左右されます。雨の時にはやはり湿った音がして晴れればカーンという高い響きになるようです。それから長泉寺の鐘だけかもしれませんが、毎日撞いているうちに振動で鐘を吊っている鍵の部分から少しずつ左右に振れて撞木と鐘の当たる角度が微妙に異なる事に気づいてきました。ですから毎日同じ響きで鐘を撞くそのためには意外にお坊さんたちも見えない苦労して撞木と鐘がきちんとなる角度に合っているか、今日の天気はどうか、風向きはどうか、工夫しながら鐘を撞いている事を思っていただければありがたいと思います。それから撞く人の性格ですね、これがよく表れると思います。
 
  何でも一つの事を一生懸命するということは難しい事です。毎日毎日の繰り返しが同じようで同じでない。私たちの人生も同じだと思います。同じように毎日毎日生活をすることの大切さをこの難しさの中から私は学ばせていただいたように思います。
  明日また6時に鐘を鳴らします。どうぞお聞き下さい。ありがとうございました

 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  寒い日が続いています。皆様いかがお過ごしでしょうか?。雪の降る夜はなぜか過ぎ去った懐かしい思い出がよみがえります

  これは昭和39年東京オリンピックの頃のお話です。当時、私は小学5年生でした。そしてその頃、長泉寺では高校生から30才くらいになるまでの兄弟子10名程と一緒に生活をしていました。
  ちょうど大寒から旧正月にかけての一番寒い時期になると、兄弟子達は寒行といって大きな声を張り上げ経文を唱える修行をするのでした。夜8時になると、秋葉堂の建っている秋葉山(小高い丘)に向かってぞろぞろと歩いて行きます。頭にタオルで鉢巻きをしたり、お寿司屋さんの職人さんのようにぐるり廻したり、ターバンのように巻いたり、それぞれ防寒と気合の意をこめた格好です。皆「どんぶく」という綿入れ姿であった記憶がします。
 
   リーダー僧が「まかはんにゃはらみた心経~」と声高に唱えると、全員で星空に届けとばかりの大声で般若心経を練習するのでした。大悲咒(だいひしん)や観音経(かんのんきょう)...とお経の練習は続き、次第に体が温まってきたかのように顔は赤くほてっていました。子どもの私はお経は読めず、声を張り上げることも出来ませんでしたが、真っ暗な秋葉山、しかもすぐ側はお墓です。そんな場所について行けることは大きな冒険でした。なにか大人になったような気分で、とても嬉しくワクワクしたものでした。秋葉山からは近所の民家の灯りが静かに見えるだけで、この冬空の空間を私たちお坊さんだけが独り占めしたような不思議な満足感を覚えたものです。
 
  寒行は朝の勤行と同じほどの長さ、つまり40分程続き、終わると急に寒い寒いと下りてきて、台所の炉辺にまるく座り熱い砂糖湯を飲むのでした。「砂糖湯を飲み過ぎると腹が痛くなるぞ!」年長者の淑郎さんはいつも私に言ってくれるのでした。バチバチバチと赤く燃える囲炉裏の炎でみんなの顔は一層赤々となり、わたしもふうふうと砂糖湯を飲んでは幸せな心地でした。
  九時となり、開枕(かいちん)。就寝の時間です。木版を鳴らしてまた唱えます。生死事大。無常迅速。各々宜しく醒覚して慎んで放逸なること勿れ。

  こうして冬の寒行は10日間程も続いたのでしょうか?よく思い出せません。寒行のおかげで長泉寺の兄弟子たちは全員お経が上手です。ありがたいことです。
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  あけましておめでとうございます。
  今年もよろしくおねがいします。ご家族皆様方のご健康とご活躍を心からお祈り申し上げます。各人、みんなと仲良く楽しく、幸せに過ごせる一年になりたいものです

  さて今年は酉年。鶏と聞いて、一番最初に思い出すことわざは皆さん何でしょうか?私は高校生?の時に教えていただいた、「鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となるなかれ」と言うことわざです。
  これにはいろいろな解釈があるようですが、大体は次のような意味合いでしょうか、、、。それは、「小さな団体であってもその頭領になる方が大きな団体の末端にいるよりはいい」と言うことだろうと思います。
  昨年、このことわざ通り、自民党の一議員でいた女性が都知事選に出馬して、みごと都知事になられた方がいました。小池百合子さんです。彼女こそまさしく「牛後ではなく鶏口」となった女性のリーダーではないか、代表格でないかと私は思っています。昨年はいろいろな意味で都知事さん大活躍の一年でありました。今年も「都民ファースト」「市民ファースト」で私達の為に活躍をしていただきたいと思っています。
 
  さて、これは中国の「荘子(そうじ)」と言う書物の中に出てくる例え話でありますが、「木鶏(ぼっけい)に似たり」と言うことわざがあります。
  ・・・紀渻子(きせいし)という男が王のために闘鶏を育てていた。闘鶏を訓練し始めて十日ののち、王が紀渻子にもうだいじょうぶか、ときいた。紀渻子は、まだ鶏は虚勢をはっているからだめだ、という。また十日してきくと、まだ相手の動きに心を動かすことがあるからだめだ、という。さらに十日たってきくと、もうよろしいでしょう、と答えた。そのときの闘鶏のようすが、ちょうど木鶏のようであった。これを見てはどんな相手でもこれと闘う気力を失い、逃げ出してしまった、というのである。・・・。
  見たところ、木でつくった鶏のようだ。敵意を持たないものに対しては、これに反抗する敵はない。無心で他に対することが、万事を処理し、困難に打ち勝つ最上の方法であるとのたとえです。。
 
   一年の間には面白くないことも多々ありますが、木鶏の如くに無心にして泰然自若「気に入らぬ風もあろうに柳かな(仙厓和尚(せんがいおしょう))」の心境でいきたいものです。
  今年もよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  今年一年、長泉寺のホームページをお読みいただいた方々に心より御礼申し上げます。
  「日々の出来事について感じたことをもっと気軽に書かれたらいかがですか」と応援して下さる読者の方もおいでですが、私の性格上そういう訳にもいかず、書いては掲載する時宣を失ってしまい紙屑かごにポイした原稿は数知れません。加齢とともに遅筆になった事は否めない事実です
 
  一度文章を書いたら推敲を重ね何度も文章を練り直す。というのが、私が小学生の頃から教わった作文の書き方だったように思えます。
  私もお盆の前にこのホームページに記述させて頂きましたが、自分と仏様との心の交流は他人にお話してもなかなか伝わりません。けれどそれは、それぞれ個人の心の問題ですから、それはそれで良いのだと思います。
 
  ところが、最近の若者はとにかく感情の赴くまま、すらすらぺらぺらと書き驚くばかりです。うらやましくも思えます。
 
 
  風邪をひき、3週間もぐずぐずした生活をしてご迷惑をお掛けしておりますが、年末年始の行事は例年通りですので、どうぞお参りにお越し下さい。
 
  お待ちしています。
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

   9月15日は仲秋の名月です。それにちなみ、名月を愛でる「寒山拾得」の掛け軸をかけました。この絵は、丸森町出身の斎藤弓弦先生の作、地元でも有名な画家の1人です。この作品は、東京におられた頃の作と思われ、丸森に帰ってきてからは画風が変わり、専門家からの評価が下がったと言われていますが、私にはそのへんのところはよくわかりません。ともあれ非常に穏やかな「寒山拾得」の絵で、私の好きな作品の1つです。※1。
   さて、今年の夏は非常に暑い夏で毎日辟易していましたが、何か夏に1冊ぐらいは本を読みたいと思い手に取ったのが頼住光子先生の「正法眼蔵入門」という本です。角川ソフィア文庫の中に入っています

   この本の中で私が一番感動したのは何かと言いますと、230ページから書かれてある文庫本のあとがきで 、(それぞれに長い時間をかけて道元の文章と悪戦苦闘してきたことをうかがわせる学生たちのゼミの発表を聞きながら、道元の文章が実にさまざまな読みの可能性を含んでいることを改めて思い知らされた。私とは違う読み筋ながら、学生たちの読みはそれぞれに説得的で、道元の文章は、多様な読みを許容する、それどころか、多様な読みを触発することを目指して書かれたのかもしれないとさえ思った。学生たちの多様な道元の読みに接して、ふと私の頭をよぎったのは、「それぞれの読み筋は、その人の運命なのではないか」ということであった。本文でも書いたように、道元の文章は、私たちが潜在的に持っている認識の前提を切り崩してくる。そのような前提を取り払った時に見えてくるのは、その人をその人たらしめる核心、原質というべきものではないだろうか。仏教が説く「空」や「無我」によって、人は空っぽの抽象、スタティックな理想の境地を得るのではないだろう。「空」や「無我」という考え方は、人が世俗を生きる中で不可避的に身に着けてしまった思い込みや執着から人を解放する。常識という名の思い込みや執着に揺さぶりをかけてくる道元の文章を読むことで、人は自己の原質、つまり自己の運命に向き合うのだろう。その意味で、本書は、道元によって触発された私の運命の一端に触れたものと言っていいのかもしれない。)
   ここを読んで私がぐっと感ずることがありました。「それぞれの読み筋は、その人の運命ではないか」と言う一文を読んでハッとして呻ってしまいました。世間では縁を見つけるか見つけないか、縁とするか縁としないかはその人の実力であり、力量であるというような言い方をする方もいますが、頼住先生は読み方がいろいろなのはその人の力量によると言わないでその人の運命であると、こう言われたところにおっと感じたわけです。

   当然ながら、正法眼蔵とは道元禅師がご自身のお悟りの体験を書かれたものです。私たちは、私たちが体験したことを拠り所として道元禅師のお悟りの跡を読ませていただいているわけです。そこで、私たち一人一人が正法眼蔵を読むということを自己の修行とし、道元禅師の修行の跡をなぞろうとするわけです。日常、私たちは悟りの世界に入ったり出たりして生きている。その生きている環境の中で正法眼蔵を拝読するというのはまさにそれぞれの運命です。そのところを頼住先生に突かれて私は感動いたしました。
 
 
   さて、僧侶の中には、最終的には道元禅師の書かれた著述は坐禅をした者にしか分からないことだ、坐禅をしない人は頭だけで理解しているにすぎないというようなことを言われる方もいます。

   8月の末に縁があり、図らずも頼住先生は遥か東京大学からこの角田の長泉寺にお越しいただき、3時間ほどご講義を頂く縁をいただきましたが、坐禅をしなければわからないというお坊さん方もその中にはいたように思えます。しかし坐禅をしなければ解らないというようなお坊さんは意外に坐禅もしてないお坊さんだとも感じました。
 
   ともあれこの夏、暑い中にこの僅か2百数十頁の本ではありましたけれども拝読させて頂いたというのは貴重な夏を過ごさせていただいたなと感じております。正法眼蔵から生き方を学び、寒山拾得の境地で名月を愛でたいと願うばかりです
 
   秋、涼しくなりましたお体ご自愛下さい
 
   ※1・・・日本画家。宮城県(丸森町)生。本名は亀治。別号に灑山。小堀鞆音に師事し、土佐派を研究、数々の審査会で入選し、作品は東宮職・皇后職御用品ともなる。大正3年第8回文展で初入選し、その後も文展・帝展で活躍のかたわら、教科書の挿画も手がけた。戦後は地元に帰り、創作に励んだ。昭和49年(1974)歿、93才

 
 
 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます。
  今年のお盆もあっという間に過ぎ去ってしまいました。お盆が終わったら台風7 号が北上して、何かお盆の余韻もなく過ぎ去ってしまったような感じがいたします。
 
  さて、皆様はお帰りになられた仏様とどのようなお話をされたでしょうか?オリンピックに気をとられ、仏様と話もしないうちにお盆が過ぎ去ってしまったなどという方もいるのではないでしょうか。
  私もお盆の前にこのホームページに記述させて頂きましたが、自分と仏様との心の交流は他人にお話してもなかなか伝わりません。けれどそれは、それぞれ個人の心の問題ですから、それはそれで良いのだと思います。
 
  お盆中、お寺にはあんなにたくさんのお参りの方々が来ていたのに、今では人影がまばらです。そのかわり「ポケモンGO」の若い男女達が訪れてきています。そこで私は彼らにたずねてみます。「長泉寺に来てポケモンをゲットできましたか?」「いえ。仙南にはそうたくさんのポケモンポイントがないんですよ」「それでもここ長泉寺はある方ですよ」と言う声が聞かれます。

  私はそのゲームの楽しみもルールも解らないものですから、一体それがどんなに楽しいのか理解出来ないのがすごく口惜しいです。このゲームがダウンロード開始と同時に、神仏に会いに来るのではなくポケモンに会いに来るために若い人たちが全国各地のお寺や神社に集うという社会現象を引き起こし、神社仏閣を賑やかにしていると言う皮肉な結果となりました。
 
  ですからご本堂に手を合わせるのはお参りに来るお年寄りの方々やそれぞれの御信心のある方々、若者はただお寺という景色の中でゲームをするという不思議な二重構造のお寺になって来てしまいました。このポケモンと遊んでいる人たちがやがて将来どんなお盆をお迎えするのか、私も長生きをして未来のお盆の姿を見たいと思います。
 
  ともあれ、角田では台風が無事に通り過ぎて、大事に育てた農作物への影響も少なく、このまますすめば今年も良い稔りが期待出来そうです。秋のお彼岸もご先祖様に感謝して、生きていま命あることに感謝したいと思います
 
  失礼を致しました

 
 

長泉寺住職
奥野 成賢
 

 

  昭和47年私は大学に入学し、その年の7月、父親を師匠として法戦式(ほっせんしき)をあげました。法戦式というのは、お坊さんとして独り立ちする目出度い儀式の一つでもあります
 
  ところが、まさにその日、大学の医学部6年生になる従兄弟が、江ノ島でクラブ員たちとヨット遊びをしているうちにおぼれて亡くなったという訃報が届きました。お祝いの気持ちで盛り上がっていたお寺の空気が一気に沈み、母親はあわてて実家に帰りました。母親の実家の伯母は、その長男の葬儀が終わるころから悲しみのあまり体調を崩し、数年後には大学病院へ入院をするようになりました。
  そして私が学部を卒業し大学院に進学する頃、いよいよ病状は悪化しました。伯母の命はあまり長くないと母親が父親と話している声を聞いたことがあります。ある時、私は伯母にお見舞いに行きました。当時の大学病院の病室は木造で入院患者たちが使う炊事場もありました。10円を入れると何分かガスが使えるガス台もありました。伯母は大学院へ進学はどうなったか?と心配しながらその炊事場でカレーを作っておりました。あなたが来るというので作っていた。と話をしてくれました。病気を見舞う側の私があべこべに心配されているとは話しが間違っていると感じその優しさにカレーは喉を通らず味もせず、いまではただその時の光景だけが思い出されます。

  やがて私は大学院に入学し、入学と同時に伯母は他界しました。伯母が他界した日、なぜか私は角田におり、おばさんが亡くなったから早く亘理の家に行って手伝いをしろと父に言われ急ぎ伯母の家に行き、親戚のおじさんたちと部屋を片付け帰りを待ちました。

  しかし、帰ってくるまでは時間があるからといって何か口にすることになりました。大切な伯母を失い、悲しくても腹がへればご飯を口にするようになるとは、何と情けないことだろうと涙がポロポロ出ました。
 
  さて修士論文を提出する日の朝がきました。白石駅から特急ひばりに乗り東京に向かいました。ところが夜、自宅に帰ってみると家にたくさんの車が集まり、電気が煌々としています。何かあったのか?と思って入りましたら私の祖母が亡くなっていました。

  祖母は病床にあって臥せってはいましたが元気でした。朝、桜餅を食べみんなでお茶を飲んだ後、病状が急変し絶命したのだと聞かされました。息をひきとる時間の頃はまだ特急が上野に着いていない時間です。私が出かけて間もない時刻です。あまりのあっけなさに死んだという事実をどうしても受け入れることが出来ず、ただただぼう然としました。諸行無常とは言え、人の死とはこういうものでしょうか?病気で寝ていて会話することも多くありませんでしたが、私の部屋の隣室からいつも励ましてくれていた祖母でした
 
  父親が遷化したのは平成14年5月13日でした。方丈さんの葬儀だ、とんだことになったと長泉寺は大騒ぎになりました
  多くのお弟子の僧侶の方々、教区のご寺院の方々、関係する僧侶の方々、護持会役員の方々、幼稚園の保護者、檀信徒の方々、その他大勢の方々のご協力を得て大本山総持寺の板橋興宗大禅師猊下を秉炬師(ひんこし)にお願い申し上げ四十九日目に本葬させて頂き、8月20日が百か日でした
  この辺で言う二十日盆の日に百か日を迎えました。父親が亡くなった後バタバタと過ごし、忙しさでいままで悲しみの境地に立てなかった私でしたが、その日の夕方西日の当たる父親の部屋で初めて声を出して泣きました
 
  毎年お盆が近くなるとなんとなく決まって亡くなった家族の事を思い出すものです。失礼を致しました

 

長泉寺住職
奥野 成賢

  おはようございます
   曹洞宗報付録「てらスクール」6月号に『竹の子にも親切な良寛さん』という面白い話が載っていました。今日はそのお話をします。あらすじは以下のようです。
  良寛さんは、五合庵と言う藁屋根の小さなお家で住んでいました。ある夏の日、その良寛さんの庵に、タケノコが生えてきました。良寛さんが見ているとタケノコはすくすくと大きくなり、やがて屋根につかえるまでに背が高く伸びてきました。このままではタケノコが屋根につかえて困ってしまうだろう。かわいそうに思った良寛さんは、藁屋根に穴を開けてタケノコを屋根の上まで伸ばしてあげようと考えました。

  そこで良寛さんは、ろうそくの火で穴を開けてやろうと藁屋根にろうそくの火を近づけました。すると大失敗、藁屋根が燃えて家が火事になってしまいました。優しい良寛さんは、ついタケノコのことばかり思って火事になることを忘れてしまったのですね、と言うお話です。

  ところが、この話を幼稚園の五歳児のお友達に話したところ、私たち大人が想像もしない反応を示しました。それは、園長先生!タケノコはどうなったの?やけどしたの?やけて死んでしまったの?….などなど、家のことではなくタケノコのことを皆な心配したのでした。

  そこで私たち大人は、はっと驚きます。そうだ良寛さんはタケノコを大切に思い、タケノコのために藁屋根に穴を開けようと思って火をつけてしまったのだ。いつの間にか私たちは焼けたお家のことばかりに気をとられ、タケノコの命のことを忘れてしまっていた、その事にあらためて気がつきます。
 
  小さな子供たちは、家というものより命のあるタケノコの方を大切にする眼を持っていました。ところが、私たちは小さな子供やお年寄り、そのような幼老弱者の命を大切にしようとするあまり、頑丈な屋根や天井を設けて穏やかな環境の中で育てようと考えています。するとやがて、環境整備に力点が移り、保育や介護のためには、より良い適切な環境を整えれば整えるほどより良い保育や介護が出来るにちがいないと勘違いしてしまうのです
  本当に大切なのは、より良い育ちを援助する良寛さんのようなあたたかい「同事行」の心なのにね…
   さて、住む家が火事になってしまった良寛さん。屋根が無くなり、これでタケノコは存分に背が伸びると嬉しく思ったでしょうか?それとも、タケノコを助けようとして家が焼けて残念だ。失敗したと思ったでしょうか?
  今日はこのお話で終わりといたします。ありがとうございました

 
 

長泉寺住職
奥野 成賢