宮城県角田市にある、曹洞宗・長泉寺です。いち早く環境ISOを取り入れ、環境活動を推進しています。

令和2年5月27日・・・晴れ

忘己利他(令和2年4月16日)

    おはようございます。

    前回のホームページで「自利」と「利他」について書かせていただきましたが、文中で「私利」についても述べました。ある読者から次のような質問が来ました。それは「いわゆるガリガリ亡者と言う言葉がありますが、その場合の「我利」という言葉も仏教語ですか?」ということです
    ガリガリ亡者とは自分の利益だけを考えて他を顧みない人を卑しめて言う言葉です。ですから意味としては私利も我利も同じように思えます。けれども我利という言葉それ自体は中村元先生の仏教語大辞典にも出てきません。
    また「我利益(がりやく)」という言葉は仏典には出てまいります。この場合の「我利益」はまさにガリガリ亡者のガリと同じような意味合いです。ですから我利益と言う言葉は仏典には見えますが「我利」という言葉それ自体は仏典には出てこないように思われます。
    さて亡者と言う言葉ですが、これは死んだ人あるいは亡くなった後その魂が成仏しないで冥土をさまよっている人という意味です。この言葉は「梵網経(ぼんもうきょう)」や「首楞厳経(しゅりょうごんきょう)」に出てまいります。ですからガリガリ亡者というのは何でもかんでも自分中心的な方を罵って言った言葉ということになります。
    ガリガリ亡者と同じようにガリガリ坊主という言葉も聞く時があります。これではなんだかちょっと悲しいですね。坊主というのはその昔お寺いわゆる御坊(一坊を構え坊号を称したので世間はその坊を御坊と呼ぶようになりました)その御坊を守るお坊さんの中心的リーダ、いわゆる主、これを坊主と言いました。けれども室町時代以降は一般の僧侶の呼び名となったようです。
    今日ではお坊さんのことをちょっと卑しんで坊主と呼ぶ方もいるようです。残念ですね、、、。おっと、話を前に戻しましょう。

    自利利他という言葉と引けを取らない良い言葉がもう一つございます。それは「忘己利他」と言う言葉です。己を忘れて他を利すると書きます。すなわち自分のことは忘れ、ひたすら他の人々を利益する事、これを「もうこりた」と読みます。今、新型ウィルス感染症にかかっている患者さんを自分の身を削りひたすら治療に打ち込んで下さるお医者さんの姿、これが忘己利他の姿の一つであると私は思います。ドクターのみなさんに感謝するばかりです。
    そして私たちが3「密」の教えやルール、あるいは人との接触を極力控える等々、自分で自分を守る努力をする事それがお医者さんに対する自分自身の忘己利他になるのではないかと思います。ぜひ国や自治体がお示されているルールに従って粛々と、このウィルス感染症の難局を乗り越えていきたいものだと思います。本当にお医者様の昼夜分かたずの偉業に敬服をするばかりです。

    失礼いたしました。 
 
 
 

   長泉寺住職
奥野 成賢
 

今回は、長泉寺境内のお地蔵さんのマスク姿です。
    長泉寺境内のお地蔵さんや二宮金次郎さんの像も新型コロナ感染症から身を守るため皆マスクをしています。
    私たちも3「密」の教えやルール、あるいは人との接触を極力控える等々、自分で自分を守る努力を継続することが大事です。仏教用語に「善因楽果(ぜんいんらっか)」と言う言葉があります。(努力した者は必ず報いられる(運が来る)という意味があります。)

    まだまだ先は見通せませんが私たちが努力することによって、この難局を乗り越えることが出来ると思います。

 
 
 
 
 
 
※マスクはお檀家さまからご寄進頂きました。