宮城県角田市にある、曹洞宗・長泉寺です。いち早く環境ISOを取り入れ、環境活動を推進しています。

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年の始めに(平成29年1月1日)

   あけましておめでとうございます。

   今年もよろしくおねがいします。ご家族皆様方のご健康とご活躍を心からお祈り申し上げます。各人、みんなと仲良く楽しく、幸せに過ごせる一年になりたいものです。
   さて今年は酉年。鶏と聞いて、一番最初に思い出すことわざは皆さん何でしょうか?私は高校生?の時に教えていただいた、「鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となるなかれ」と言うことわざです。
   これにはいろいろな解釈があるようですが、大体は次のような意味合いでしょうか、、、。それは、「小さな団体であってもその頭領になる方が大きな団体の末端にいるよりはいい」と言うことだろうと思います。
   昨年、このことわざ通り、自民党の一議員でいた女性が都知事選に出馬して、みごと都知事になられた方がいました。小池百合子さんです。彼女こそまさしく「牛後ではなく鶏口」となった女性のリーダーではないか、代表格でないかと私は思っています。昨年はいろいろな意味で都知事さん大活躍の一年でありました。今年も「都民ファースト」「市民ファースト」で私達の為に活躍をしていただきたいと思っています。

   さて、これは中国の「荘子(そうじ)」と言う書物の中に出てくる例え話でありますが、「木鶏(ぼっけい)に似たり」と言うことわざがあります
   ・・・紀渻子(きせいし)という男が王のために闘鶏を育てていた。闘鶏を訓練し始めて十日ののち、王が紀渻子にもうだいじょうぶか、ときいた。紀渻子は、まだ鶏は虚勢をはっているからだめだ、という。また十日してきくと、まだ相手の動きに心を動かすことがあるからだめだ、という。さらに十日たってきくと、もうよろしいでしょう、と答えた。そのときの闘鶏のようすが、ちょうど木鶏のようであった。これを見てはどんな相手でもこれと闘う気力を失い、逃げ出してしまった、というのである。・・・。
   見たところ、木でつくった鶏のようだ。敵意を持たないものに対しては、これに反抗する敵はない。無心で他に対することが、万事を処理し、困難に打ち勝つ最上の方法であるとのたとえです。


   一年の間には面白くないことも多々ありますが、木鶏の如くに無心にして泰然自若「気に入らぬ風もあろうに柳かな(仙厓和尚(せんがいおしょう))」の心境でいきたいものです。
   今年もよろしくお願いいたします。ありがとうございました。




長泉寺住職

奥野 成


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