宮城県角田市にある、曹洞宗・長泉寺です。いち早く環境ISOを取り入れ、環境活動を推進しています。

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平成28年6月16日(かえるのうた)

   おはようございます
   6月の雨の日の幼稚園は靜かです。暑い夏の雨降りならば勇ましい園児たちは裸ん坊で泥遊び、砂遊びに歓声をあげ、笑い興じるのですが、梅雨寒むの天気にはさすがに飛び出してくる子はいません。どうやら、お部屋の中で歌を唄ったり、お絵かきしたり、ゲームをしたりして遊んでいるにちがいない。
   6月の「こじか」(ミネ幼稚園の園便りのこと)を見ると、今月の歌は「かえるのうた」と「かたつむり」だ。幼稚園や家庭のみならず、どんな人とも一緒にうたえる歌を、と言う幼稚園の先生方のはからいらしい。毎月のお誕生会には誕生児の保護者(殆どがお母さんですが)の方もお祝いに来園され、その月の歌を全員で唄うのですが、それはそれは皆幸せそうな笑顔となり、幼稚園全体が嬉しい一日となります。


   ところで、さきごろ北海道で「しつけ」と称して、小学二年生の男児を山中に放置するという事案が発生しました。放置した時間はわずか5分間程のようでしたが、男児が無事発見されるまでには6日間の日数を要する世界的な大事件になってしまいました。
   その事の顛末を報じるニュースを観ながら思ったことは、ふだん家族といっしょにどんな歌を唄っているかでした。嬉しい時はもちろん、辛い時悲しい時に人は歌を口ずさむものです。この少年は6日間どんな思いでいたのでしょう?。叫んだり歌を唄ったりしなかったのでしょうか?。
   私など一週間も知らない山中に、しかも何の食料もなく放置されたら泰然自若(たいぜんじじゃく)として少しも騒がず、ゆったりと坐禅を組むなどと言うことは到底出来るものではありません。おっと、話が脱線しました。

   さて、幼稚園のお誕生会では「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」の歌を何の不思議もなく唄うわけですが、考えてみれば、「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」に代わる日本の歌、日本に於ける誕生日を祝う歌が無いというのも不思議なことです。ご先祖様に感謝する「お盆」や「お彼岸」の行事は毎年あっても、誕生日を祝う習慣はなかったのでしょうか?
   施設に入居している老母も89歳になりました。誕生日の歌を唄いながら、あと何回ハッピー・バースデーの歌を唄えるかと思うと、ふと諸行無常の言葉が浮かび、目頭を拭ってしまいます


長泉寺住職
奥野 成賢

平成28年4月29日(お城のある風景)

   おはようございます
   「西を仰げば臥牛の城趾、思い出永久(とわ)につきせぬところ・・・」とは、我が母校角田小学校の校歌の出だしです。ありがたいことにミネ幼稚園の園長として私は年に二度、角田小学校様よりお招きをいただき、校歌を歌います。一つは入学式、一つは卒業式です。ですから年に二回この校歌を歌っては小学校時代の楽しい思い出にひたる喜びを味わさせていただいております。
   ところが最近、入学式ではこの校歌を歌わなくなりました。代わりに角田市民歌を歌うようになり、この市民歌の中にはお城を称える言葉がなくなりました。
   角田城趾は小高い丘の上にあり、寝そべっている牛の姿に似ていることから、臥牛城跡と言われていますが、角田にはいわゆる天守閣を有するお城はなく、いわゆる舘(要害)であります。

   子供の頃から「いいかお前ら、宮城県というのは仙台県と角田県の二つが一つになったのだ。なぜそうなったかというと、私たちの郷土角田は仙台藩伊達一門筆頭の石川公のお膝元なのだ。そういうところにお前らは生まれ育った。ここで一生懸命勉強して角田城趾のところに、あの丘の上に建っている角田高校で学んで故郷に錦を飾れ。」そう言われて、角田に生まれ育ったことを矜持として、あぁ、自分は立派ないいところに生まれたんだな、と言う誇りを植えつけられて育てられたのでした。
   角田高等学校の校歌は「臥牛舘内名に高き豊成閣のいしずゑを・・・」をというものでしたが、この校歌も先年、角田高等学校と角田女子高等学校が合併したことにより今は聞かれなくなってしまいました。寂しいことです。

   お城のある町で育った者にとっては、お城に対する特別の想いがあるのではないでしょうか?とりわけ、正岡子規ほど生まれ育った郷里のお城、すなわち松山城を大切にした人はいないと思います。『松山や 秋より高き 天主閣』この歌を正岡子規はお城の写っている写真の裏側に書き留め、死ぬまで終生肌身離さず身にしていたということです。この正岡子規に秋山好古、秋山真之を加え、三人を主人公として司馬遼太郎は小説「坂の上の雲」を書きましたが、その書き出しも松山城から始まっています
   さて、4月14日、4月16日と九州で大きな地震があり、特に熊本では甚大な被害にあわれております。テレビの映像で地震のため熊本城が噴煙を上げて屋根瓦が落ち、城の石垣が崩れるところが何度も放映されました。城下町に育ったものとしてはお城というのは自分のアイデンティティーでもあります。あの映像を見るたびに熊本の方々は精神的にも非常な困難な状況の中で今ご苦労されていることが伝わってきます。被害に遭われた熊本の人々の窮状を、熊本城がまるで切々と訴えているようです
   心からお見舞い申し上げますとともに長く続く余震が収まり、一日も早い復興が成ることを願うばかりです。舘とは言え、お城のある町で生まれ育ったものとして角田の皆様方のお力をお借りして熊本の方々の一助となるべく托鉢をします。ご協力をお願いします




長泉寺住職
奥野 成賢

平成28年3月30日(開花)

   おはようございます
   待ちに待った桜が咲きました。3月27日の日曜日、朝、鐘を撞きに行きますと鐘楼のすぐそばの桜が開花をしていました。これが今年の長泉寺桜の開花でございました。
   早い開花はうれしいけれど、4月8日の花祭り、それから4月10日に予定している幼稚園の入園式の日までこの桜がもつかなぁというのが最初の感想でした。

   なぜなら、この時期には「月に叢雲花に風(つきにむらくもはなにかぜ)」という言葉があるように、3日に1度は強い風が吹く季節でもあるからです。桜の花の1枚の花びらも散ることなく、可愛らしい子供たちがまた大勢幼稚園にやってくる、その目出たくも誇らしい入園式をお祝いしてほしいというのが幼稚園の園長をつとめている私の思いでもありました。
   桜というとどうしても花見というイメージが強く、花見になりますと賑やかにドンチャン騒ぎ。以前は長泉寺にもいろいろな方がお参りの次いで、夜遅くまでにぎやかに花見をされていた記憶がありますが、最近は方々に花見が出来る公園が整備され、お寺にいらっしゃる方がほとんどおりません。それはそれで静かなことでありがたいのですけれど、桜景色のお寺の風景を無言で一人で撮りにくる方々ばかりでなく、お友達と仲良く楽しくおしゃべりをしながら桜をご覧になりに来ていただければなと思います。夜のライトアップもいたしますが、とは言え夜遅くまではご勘弁をお願いをいたします。

   ところで御法名の中にいろいろな草花あるいは木々の字が入ることがありますが、考えてみますと松とか竹とか梅とか、また菊とか蘭、蓮などの字は多いように感じますけれど、桜と言う字は意外に少ないように感じます。「花の色は濃きも薄きも紅梅」と枕草子にありますように、花ではやはり昔から梅というのがいちばん人気なのでしょう。NHKの朝ドラマ「あさが来た」でも、主人公の白岡あさが夫の新次郎さんとの結婚40年を記念して庭に植樹したのも桜ではなく梅でした。

   ともあれ、桜は咲くのも嬉しいが散るのも美しいと、日本人には独特の美学があって、なかなかややこしいものです


長泉寺住職
奥野 成賢

平成28年3月11日(別れと出会い)

   おはようございます。最近三つほど嬉しいことがありました。
   一つ目、3月1日は宮城県にある県立高校の卒業式が行われた日です。私の母校である角田高等学校でも卒業式が行われました。
   その日の夕方、あるお婆さんがお孫さんを連れてお寺を訪ねてこられました。何のご用かなと思っておりましたら、何とそのお孫さんとはミネ幼稚園を卒園したA君だったのです。A君は「園長先生、おかげさまで高等学校を今日卒業して大学に行くことが決まりました」と恥ずかしそうに報告をし、お婆さんが持っていた風呂敷包からお赤飯を出して私に差し出しました。12年ぶりに会う笑顔からは幼稚園の頃のあのあどけない顔は消え、たくましい青年になっていました。「やぁおめでとう!」。その日の夕食は、A君のお赤飯で家族でお祝いをさせていただきました。

   二つ目、この度ある家のお爺さまが80歳でお亡くなりになりました。ご葬儀に行きましたら何とそこのお孫さんはこれまたミネ幼稚園の卒園児で、しかもA君と同じく今年角高を卒業したB子さんでした。B子さんも山形にある大学への進学が決まっておりました。
   「残念だったね。こんな時にお爺さんが亡くなって寂しいね」と私が声をかけますと、「寂しくて悲しいですが、元気なうちに大学の合格を報告することができたのでほっとしています」と返事をし、その後に次のように言葉を続けました。「私ね、園長先生が晋山式でお寺に入る時、稚児行列に加わって園長先生と一緒に撮った稚児行列の写真とビデオを大事にしてるよ」。こう言われ、私はビックリしました。平成14年、先住職の一周忌法要に併せ行った私の晋山式で稚児行列をしてくれたお友達がもう大学に入る歳になったのだと歳月の流れに驚き、そしてその事をいつも心にかけていてくれたB子さんに感謝をしました。

   それから三つ目の嬉しい事がありました。それは今から約20年ほど前、私は保護司という仕事をさせていただいておりましたが、その時出会った女の子に、その女の子のお母さんのお葬式の時に出会いました。「なんだか恥ずかしくて言えなかったけど奥野先生だよねぇ」。そう声をかけられて、?と思ったら何と彼女はなんと私が担当していた女の子のお友達だったのです。「私たちがぐれていた時は先生に大変お世話になりました」。そう声をかけてくれました。「ん…君達がぐれている時、お母さんはどんな気持ちだったかなぁ」と話をしたら、コトコトコトコトと涙を流しました。「どんなところで出会うかわからないね」と、いろいろお話をさせていただきました。

   3月は別れの季節ではありますけれど、新しい出会いのスタートの季節でもあります。みんな、それぞれの道でそれぞれに活躍してほしいと思いました。

   今日3月11日は東日本大震災より5年目の日。震災の年に生まれたこども達はもうすぐ「3才児・年少組」を修了し、震災2年前に生まれた子ども達は来る3月15日にミネ幼稚園を巣立つことになります。54回目の卒園式です。


長泉寺住職
奥野 成賢

平成28年2月24日(定物定位)

   おはようございます
   先日、ある人から誘われて「餃子の王将」というお店に入りました。初めて入るお店です。外食する店にあまり入ったことがないものですから、珍しくて店内をきょろきょろと見回していたところ、厨房に「整理整頓」という貼り紙が貼ってありました。その隣に何と読むのか、「定物定位」と書いてありました。
   あれはどういう意味なのかな?、皿は皿を置いてあるところに、丼は丼のあるところに、物は決められたところに後片付けをして、次の人が使いやすいようにしなさいと、そういう意味なのかなと思い、食事をいただいた後に、レジで支払いをする時、店員さんにあの張り紙はどういう意味なのですかと尋ねました。すると店員さんは、何と表現したらいいのかわからなくて困っている顔をしておりましたので、前述したように小皿は小皿があるところに丼は丼のところにという風に決められた所に洗い終わった食器を片付けるのですか?そういう意味ですかと聞きましたら、そうですと応えられました。
   私たちの道元禅師がお書きになられました書物の中に、「典座教訓(てんぞきょうくん)」というお示しがございます。これは禅寺で厨房に立つ修行僧の心構えについてわかりやすく道元禅師様がお示し下さった書物です。その中に「高処は高平に、低処は低平に」という言葉があり、同様に、高いところに置くべきものは高いところに、より低いところに置くべきものは低いところに後片付けをして整理整頓をしなさい、いつも使いやすいように片付けておきなさい、そういう意味です。
   修行というと、ややもすると私たちは坐禅をしたり何か特別な行をすることであって、そのような行が大事であって、ご飯を作ったりする「仕事」というのは軽んじる傾向にありますが、道元禅師におかれましては、私たちが日常行うこのなんでもないことに上下はないし、また行の高い低い浅い深いもないんだと言う事です。
   ご本山あるいは修行僧がたくさんいる禅寺に参りますと、いろいろな日常の仕事の役割を分担してやります。例えば「風呂当番」あるいは「お墓掃除」「ご飯炊き」です。そして、やはりどうしてもお坊さんたちは衣を着てご本堂で活躍をしたいという気持ちがあって、そのような仕事をおろそかにしたい気持ちなるわけですが、みんな一人一役、役に重さの高い低いはないとお示しされたわけです。
   「餃子の王将」さんでも整理整頓して器物を置く場所を決めるというところからさらに踏み込んで、「ご飯を作る人」「ご飯を配膳する人」「洗う人」あるいは「レジを打つ人」みんなそれぞれ一人一役みな同じ、その役割に高い低い、重い軽いはないということまで徹底しているのだなと、ちょっと嬉しく思って帰ってまいりました。


長泉寺住職
奥野 成賢

平成28年1月28日(二本の松)

   おはようございます
   ミネ幼稚園の入り口向かって右側、二宮金次郎の像の前に姿の良い松の木が1本、同じく向かって左側プールの側にも同じような松の木が1本、二本の松が園児を見守ってくれておりましたが残念なことに二本とも松くい虫にやられ、この冬休みを利用して二本の松の木の伐採をしました。d1.jpg

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   冬休みが終わり正月早々幼稚園に戻ってきた子供たちは「アレなんだか変だな、何か変わったぞ」。そうです、松の木が無くなったことを幼稚園の子ども達も気づきました。保護者の方も気づきました。そこで幼稚園の子どもたちがお正月明けに初めてご本堂にお参りしに来た時、松の木を倒したわけのことを子どもたちにお話しました。「二本の松は、松くい虫の病気になって元気がなくなり、このままだと倒れて幼稚園のおともだちにけがをさせてしまう。病気から助けてあげられずゴメンナサイと言って松の木を手でなでてあげました。園長先生は涙が出ました…」と。すると子供たちは、「そうだ、じゃお寺のご本堂から幼稚園に戻る時、お寺の門を出て遠回りをして松の木にさようならを言おう」そうして園児たちも松の木と別れをしました。
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   さて、天神町から以前の遠藤旅館さんと松川呉服店さん跡の角を西に折れて長泉寺の門までまっすぐ向かう道を昔の人はウグイス横丁と呼んでいました。それはウグイスが梅の枝にとまって鳴くことにかけて、お葬式の時には長泉寺に向かう道を通るわけですから、ご遺族の方々はその悲しみで「泣き泣き」、お墓に「埋め」に来る。それでウグイス横丁としゃれて言ったわけです。
   昔、そのウグイス横丁の中ほどに松月堂という美味しい和菓子屋さんがありました。その松月堂さんと長泉寺の山門の間の参道、そこは両側に広々とした田んぼが広がっておりましたので、その参道の両側に松の木をぞろりと長泉寺では植えて飾らせて頂き、そこは特に地元の方々から松原と言われる名所になりました。その松原の道のすぐ脇に大きな石の石碑が建っており、その台座が舟の形をしておりました。(根本培翁之碑)それでその台座を舟石と呼んで、その舟石をベンチ代わりにして、夏の朝といい夕といい、涼みに来る方がたくさんおりましたが、その松原の松は今回幼稚園の二本の松を倒したことで全部なくなってしまい、わたしが子供の頃から慣れ親しんだ風景とお別れをしました。
   こうやって自然も変わり、私も歳をとるのだなと、そうお正月は思いました。寂しくなりました




長泉寺住職
奥野 成賢

平成28年1月1日(あけましておめでとうございます)

   あけましておめでとうございます
   皆様お揃いで良い春を迎えのこととお慶び申し上げます。本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
   さて今年は平成28年、西暦で2016年、「丙申(ひのえさる)の年」であります。丙申は赤猿とも言い、一名火猿であるとも言い灼熱の魂を持つ猿と言うことだそうです。エネルギーがあまって、馬が走り回り、猿があちこち飛び跳ねるように心の抑えが効かず、煩悩(ぼんのう)・妄念(もうねん)・情欲(じょうよく)等が制し切れない、いわゆる意馬心猿(いばしんえん)の年にならぬよう心引き締め気を引き締めて一年を過ごして行きたいと思っております。
   私は馬年生まれですから、尚更この申年にはこの意馬心猿の言葉を自制の言葉として胸にきざみ、隠忍自重の生活をすることにしています。
   ところで、猿で思い浮かべる諺(ことわざ)と言いますと、これはもう誰もがそうであるように「猿も木から落ちる」と言う言葉だろうと思います。同様の意味の諺は「弘法も筆の誤り」でしょうか?、ともあれ油断大敵との諺だろうと思います。


   この油断大敵でまた思い出されるのは、学校の時教科書で勉強させられた「高名の木登り」というお話だろうと思います。これは『徒然草』の第百九段にでてくる有名なお話で、木登り名人と言われる人が、ある方に指図して木登りをさせ、下から見て、高い所では声をかけなかったけれど、降りてくる途中、軒の高さくらいまで降りてきた時に「油断しちゃいけないぞ」と声を掛けた。つまり失敗というのは難しいところにあるのではなく、むしろ簡単で舐めてかかるようなところにこそあるのだと指摘して、それを見ていた吉田兼好はなるほどと感心したというわけです。
   これに似たような話で、ある方が仏の教えというのはなんだと聞きましたところ、「諸悪莫作(しょあくさくま)・衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)・自浄其意(じじょうごい)」と応えた。すなわち、「悪いことをしない良いことをするそして心清らかにする。これこそが仏の教えだ」と。すると、「なんだそんな事は子供だって知っているぞ」と返事をする。それに答えて、「それはそうだ子供の知っていることだと思うけれどもそれを実行するのは大の大人でも難しいぞ」と言われ「なるほど」と言ってそれに返す言葉がなかったと白楽天(はくらくてん)と鳥窠道林禅師(ちょうかどうりんぜんじ)との有名な問答が残されています。


   初心にかえり、生き方の基本を守る1年を過ごしたいと思います。倍旧のご指導とご支援をよろしくお願い申しあげ年頭の挨拶といたします。皆様方の幸せ多い一年になりますよう心からお祈り申し上げます。



長泉寺住職
奥野 成賢

平成27年12月26日(除夜の鐘

   おはようございます
   暖冬とは言え朝夕冷え込みが厳しくなり、朝などは起きるのが辛く感じる日も少なくありません。
   さて、長泉寺では朝6時と夕方5時に鐘を撞いております。周知の通り、鐘楼は高さが4~5メートルのところに床があり、人が立って鐘を撞く形式になっています。ですから鐘楼に登って鐘を撞く時に北風が吹くと寒さを感じます。鐘は1声大体2分間隔で九つ撞きますから16分ぐらいかかります。
   鐘を撞く担当のお坊さんは寒いので早く鐘を撞き終わりたいと思うのでしょうか、2分間隔が少し狭まりまして狭まると同時に鐘の音も低くなってしまい早く終わりたがります。そこで私は下から大きな声で怒鳴るわけです。「もっと鐘を大きく撞け!」。病院で入院をしておられる方、施設に入られているお年寄りの方、みんなお寺の鐘が鳴ったなぁ今日も一日が始まるなぁ、今日も終わったなぁと、そういうふうに鐘を聞いている方もいらっしゃるのだから精一杯大きく、皆さん頑張ってますか、元気ですか、そういうつもりで鐘を撞けと下から大きく怒鳴るわけです。
   けれど、お坊さん達も忙しいのでしょう、早く鐘を鳴らしてしまい、「届かなかったよ」「聞こえなかったよ」と言うようなお叱りが届くようになってしまいます。お恥ずかしいことですが、ご迷惑をかけております。


   さて12月31日大晦日がやってまいります。今年の締めくくりを長泉寺の鐘に込めていただき、除夜の鐘をどうぞみなさんも撞きにきてほしいと思います。そして新しい一年を潔い気持ちでお迎え下さるようお待ちしています。温かい甘酒や年越しそば、そして紅白の鐘もち大福を準備して皆様方のお出でをお待ちしております。
   今年1年、長泉寺のホームページをご覧いただきました皆様方に御礼を申し上げます。良いお年をお迎えください。ありがとうございました。



長泉寺住職
奥野 成賢

平成27年12月18日(年の瀬に

   おはようございます
   一昨年の秋、ここ長泉寺にて曹洞宗宗立専門僧堂が開催された時の話です。ある名のある御老師様が講師として長泉寺にお越しいただき、私はその御老師様の身の回りのお手伝いをさせて頂きました。
   御老師様は、「これは私が若い頃、禅師様に頂いた着物を着る時の腰紐だ。長いこと使ってこのようにずいぶん傷んでしまった。」見るともう紐はボロボロに傷んで色も褪せたボロ紐でした。「古くなったのでこれを屑かごに捨ててくれ」と私に手渡しました。私は、はっとして「御老師様、これを私が頂戴してもよろしいでしょうか?」と申しましたら、「捨てたのだからお前の勝手にするが良い」と言われました。捨てるのであれば、わざわざ長泉寺までそれを使って着物を着て来るはずがありません。ですから、これは御老師様が私に下さるために意図的に着けて来た物なのだと私は直感的に感じたのです。

   つまり、腰紐がこのように擦り切れるほどになるまでお前は修行しないといけないと言う温かい策励と私は思ったのです。

   さて、この1年を振り返りますと、私はどれほど勉強をし、どれほど修行したのか、非常に恥ずかしく思います。
   来年こそはと思ってはみても、来年の年の瀬には、また今年と同じように反省するばかりの一年になりそうで、新しい年を迎える前から何とも面目ございません。



長泉寺住職
奥野 成賢

平成27年12月10日(ジューサーの季節

   おはようございます
   今年の夏は毎日毎日とても暑くて皆様方も夏を過ごされるのが大変だったと思います。お寺のお坊さんたちも毎日毎日、顔を赤くし汗を拭き拭き境内を掃除しておりました。そこで、せがまれてTVショッピングでお馴染みのジューサーを新しく求めて、ご本尊様からお下がりの果物をジューサーでジュースにして頂くことにしました。届いたその日は、一同、輪になり箱を開ける手もうやうやしく、早速試しては「ウォー!TVの画面と同じだ」などと歓声をあげ、お陰で元気に過ごすことが出来ました。
   ところが、あの暑さを忘れるほど涼しい秋が早くやって来て、ジューサーの出番は激減。今度は寒くなり、またリンゴやミカンなどのたくさんの果物が仏様にお供えされ、そのお下がりをジューサーでジュースにして、また飲ませて欲しいなぁとおねだりしたら、「方丈さんジューサーの季節はもう終わりました」とお手伝いの和子さんのつれない声に凹みました。見ると大掃除が終わった台所の片隅に、ご法要会食のお膳を包んでくるビニール袋を被ったジューサーが、ひとり寂しく座っておりました。

   さりとて私もジューサーを飲んだ後の後片付けが大変なことを知っておりますので、仕方がない来年の夏まで冬眠させようとジューサーを寂しくなでました。そして、「冬眠を永眠にさせないで!」と女性軍をにらみましたアハハ。


   寒くなる季節、また年末年始の忙しい時期を迎え、風邪などで感染性の病気あるいは自動車の運転、暖房器具の取り扱いなど健康・事故に気をつけて良い年の瀬を迎えてほしいと思います。
   失礼をいたしました。



長泉寺住職
奥野 成賢

平成27年11月26日(内観

   おはようございます
   少しの間エッセイを休ませていただきました。ご迷惑をおかけいたしました。

   さて去る9 月、ちょうどお彼岸頃ですが、縁があって鳥取市にある「心身めざめ内観センター」を訪れました。千石真理先生という綺麗な女性の先生のご指導下で、誕生から現在までの自分自身を見つめる内観をして帰ってまいりました。
   その内観センターは大変閑静な所で自然豊かな場所にあり、室内も純和風にしつらえたお家でした。私と一緒に内観の指導を受けたのは日蓮宗に在籍の若い僧侶の方でした。私と彼と2 人、別々の部屋で2 泊3 日にわたる内観をしたのです。非常に家族的な雰囲気で三度々、おいしい食事を提供していただき、リラックスした雰囲気の中で千石先生による懇切な指導を受けたわけです。
   内観というのは、そもそも浄土真宗の僧侶の吉本伊信老師という方により開発された一種の自己探究法であります。1番(してもらったこと)2 番(お返ししたこと)3 番(ご迷惑をかけた事)、この3 つのことについて自分と身近な人たちとの関係の中において過去から現在までのその事実を振り返るわけです。
   こういうことをしてもらった、こういうことをお返ししたと言うことを相手の立場に立って見直すと言う事です。今回、私は、私の母親、父親、妻そしてまた母親のことを内観して、そのつど千石先生と面接をさせていただいてお話をするということを2 泊3 日の間ずっと朝5 時に起床して夜10 時に就寝するまで繰り返し面接を受けたと言うことであります。そういたしますと、親は親なりに私に対して精一杯なことをしてくれた、また色々な人の助けがあったからここまで行き着くことができたという感謝の念が無意識のうちに呼び起こされ感謝だけ感じて帰ってまいりました。
   「大事にされている」「愛されている事」を心から実感できたように思われ心から幸福感に満たされ、私も他人の幸福のために何かをしなければいけないと言う心が自然と沸き起こったような気がいたします。

   周知の通り、私は1 人の僧侶としてたくさんの方のご葬儀をさせていただいております。その中で「あなたは今死んでも後悔ないですか?」「いつ死んでも後悔のないように」と口先だけで言うのではなく死にいく人の心の内面から救える、そういう僧侶になりたいと常々思うものの、僧として未熟なる者の悲しさ、その域に立てません。しかし今回の内観によって最後に頼れるのは仏様だよ。仏に出会うことができた人は幸せだよと自信を持って言えるお坊さんという立場に喜びを感ずる人になったような感じがします。
   まあ人生、世の中は諸行無常だと言われておりますが、この中で縁という不思議な縁(えにし)で今生かされている自分の命を後悔のないように生きて、安心して浄土にいける境地に私もなりたいし、他人様も導いていければと感じて帰ってまいりました。



長泉寺住職
奥野 成賢

平成27年8月30日(校歌

   おはようございます
   立秋を迎え、お盆が終わってみたら朝夕めっきり涼しくなり、時には肌寒くさえ感じる今日この頃です。あの猛暑がまるで嘘のようです。
   今年は天気も暑かったですが、高校野球夏の甲子園大会も熱い試合が続きました。とくに仙台育英と東海大相模の決勝戦はどちらが優勝してもうなづける、それほどいい試合だったと思います。


   さて、8月25日付の河北新報に「甲子園、東北勢なぜ優勝出来ぬ」という特集が載せられており、野球に詳しい5人の識者がそれぞれウンチクを述べていたようです。けれども私は、ひたすら無心になってプレーした高校野球児にとっては何の意味があるのか?、と私はいささか面白くなく拝読いたしました。
   それはさておき、高校野球のもう一つの楽しみは各出場校の校歌が聞けるということです。以前、私の住む角田には角田高等学校(男子校)と、角田女子高等学校がありました。私はその男子校である角田高等学校を昭和47年に卒業しましたが、少子化と男女共学化の波に洗われ、やがて二校が合併し、新しい「角田高等学校」が生まれました。平成17年のことです。ですから、今の新しい高等学校の校歌を私は知りません。同時に私は、私の角田高の校歌を失いました。校歌というのは単に学校の歌ではなく高等学校の3年間の生活が凝縮された人生そのものだと考えています。「臥牛舘内名に高き豊成閣のいしずゑを~」という角田高等学校の歌、あの四拍子の歌を聴くたびに懐かしい同級生の顔やバカなことをした毎日が即座に蘇って来ます。
   大学は山形大学を経て駒沢大学大学院でした。駒沢大学の校歌は北原白秋作詞・山田耕作作曲の名歌です。やはりその歌を聞くと青春の日々が瞼に浮かんできます。早稲田大学には早稲田の、東京大学には東京大学の、慶応大学には慶応大学のそれぞれ名歌とされる大学校歌がありますが、やはりなんといっても我が母校の校歌が一番です。そして自分の母校の校歌が一番と思うのは私だけではないと思います。
   今は少子化でどんどんと小学校や中学校が閉鎖され、自分の母校が消えていこうとしていますが、我が人生の応援歌でもある校歌までが消えることの何と寂しいことでしょう・・・。

   ともあれ、やがて20年経ち30年経って、本年の甲子園野球大会準優勝校の球児達が寄り集まって、肩を組み「南冥遥か天翔る~」と校歌を声高らかに歌うならば、彼等の心には優勝や準優勝などという小さな思い出ではなく、『やりきった!生ききった!』という大きな至福感だけが湧き起こるにちがいない。私は強くそう思っている。



長泉寺住職
奥野 成賢

平成27年8月12日(立秋

   おはようございます
   8月8日は立秋でした。それまで大変な猛暑続きの毎日でしたが、季節とは正直なもので立秋を境にこころなしか涼しくなった気がします。蝉の声に混じって夜には虫の声が聞こえます。
   さて、お盆の頃となりお寺やお墓にはたくさんの方々がお参りに来られ賑やかです。けれども、毎年同じ行事とは言え「同じように」準備し、「迎え火」を焚き、「おまいり」をし、「送り火」に手を合わせることは、なかなか至難のことと思われます。伝統の行事や教えを守り維持するためには、それなりの覚悟と信念がなければ出来ません。


   例えば、僧堂では毎朝お粥とゴマ塩をいただくわけですが、これを毎日同じように調理するのは大変難しいことです。それには様々理由が考えられるでしょうが、とにかく同じことを繰り返し繰り返し、しかも完全にすることくらい難しいことはありません。これを達成出来る人、それを「名人」とか「達人」と言うのでしょう。
   ある老舗の料亭では、毎朝決まった時間に「ご飯」「みそ汁」「漬け物」「たまご焼き」「焼きのり」だけの朝食を一年365日毎日作らせ、それを料亭の主が食し、出来不出来がないか、ムラなく毎日調理できているかを点検して調理人の技を磨かせる修行を課しているという話しを聞いたことがありますが、それを聞いて私は流石と思いました。
   私のお寺でも毎朝の勤行を欠かしませんが、全く同じに出来ているかと自問すると、自信がありません。
   原子力発電だって人間が作動させるもの、ずっと同じように安全に運転出来るか不安になるのも当然な気がします。

   失礼いたしました。



長泉寺住職
奥野 成賢

平成27年7月3日(朝の散歩

   おはようございます
   お寺には、今年3歳半になる雄の柴犬「竹千代」くんがおります。竹千代くんと朝散歩するのは私の役目、夕方の散歩は家内の役目となっています。ですから、私はだいたい朝5時半から6時半ぐらいにかけて毎朝、竹千代と散歩します。お寺のそばに台山公園があるものですから、お寺や台山公園の周辺は散歩する方、ジョギングをする方、ペットを連れて散歩する方、たくさんの方々と出会う場でもあり、時間でもあります。
   ところで私は自分なりにルールを決めており、出会ったら必ず私の方から「おはようございます」の声掛けをするように努めています。けれども向こうから歩いてきた方が「あっ、お寺の住職だな」と思ってコースを変えたり、あるいは挨拶をしてもその返事がない方などもいて、それはそれなりに結構面白いことではあります。
   当然ながら、お互いに声掛けをすると段々に顔が馴染んできて、ある程度の距離になると「おはようございます」「今日は」の挨拶ばかりでなくいろいろな会話を交わすようになり、嬉しくも楽しく思います。


   ところでペットを飼われている方の中には、おそらく始末をするのを忘れたのでしょうか、山門の側に犬の糞が落ちていたり、お墓の前あるいは道路際にそのまま糞を放置されている人も中にはいるようで、少しこれには困ったことだなと思っています。
   臨済宗の言葉で「トイレに行ってウンチをしたらお尻を拭きなさい」(自領出去(じりょうしゅっこ))という意味の言葉があると聞きました。後始末をきちんとしなさいということです。曹洞宗の言葉にも「ご飯を食べたらお茶碗を洗いなさい」という意味の言葉がありますが、それと同じと思います。
   ペットが糞をして、その糞の始末をしないで主が去っていくとしたら、その糞をしたのはペットではなくて主がしたのだ。その主がお尻を拭かないで帰っていってしまったのだ。そういう意味にもなろうかと思います。ペットが笑われているのではなく主が笑われている。飼い主として笑われないようにしようと思ってペットの糞の始末をしてほしいなと思います。
   「ペットの糞を片付けよう」という市役所や台山公園、お寺の立て看板が目に入らないかなと残念に思います。

   失礼いたしました。



長泉寺住職
奥野 成賢

平成27年6月12日(坐禅会

   おはようございます
   毎週日曜日、夕方の5時から細々とではありますが、日曜坐禅会を行っております。一般の方々を交え約45分ほど坐り、その後茶話会を開いて和やかに開催しています。
   春夏秋冬、それぞれの景色それぞれの季節の音に囲まれて坐禅をするのは気持ちの良いものです。とりわけこれから梅雨の季節を迎え、雨の雫がポチポチと降る中で坐禅を組むのは大変気持ちの良いものです。
   雨期の季節は外で労働が出来ない。また、虫などの生き物を踏み殺すこともある。そこで「雨安居(うあんごう)」と言って一定の期間部屋にこもって坐禅修行することが釈尊の時代からの習わしとなり、この季節こそ坐禅を集中してする時期となりました。(4/15もしくは5/15から3ヶ月)。
   坐禅中姿勢を正し呼吸を整え「調身・調息・調心」と言われるように身も心も正して坐ります。どうしても足が組めない方のためには椅子を用いての坐禅も行っておりますが、なかなかお寺の山門をくぐって坐禅会においでいただく方が増えません。いささか残念でもあり、また主催する自分の力不足というものを痛感しています。
   坐禅中には、巡香という役目の修行僧が、いわゆる「警策(きょうさく)」という棒を持って姿勢や昏沈(こんじん)(仏教で説く煩悩の一つで、「沈んだ心」を指します。)を正してくださるわけですが、一般の方はこれで肩をパンパンと叩かれると思っている方が大部分ですが、警策を用いて打つことはほとんどありません。それは集中して座っている方の妨げ、音による妨げになるからです。

   坐禅の経験を積んでいくうちに鎌倉の臨済宗の禅寺に行ってみよう、あるいは旅行中に出会った禅寺にも行ってみたいと、いわゆる昔の武者修行道場破りのように転々と各地の坐禅会に参加したくなる方も居るようです。それはそれでいいかもしれませんが、正師を求める遍参行脚ならいざ知らず、たんなる朱印帳巡りの旅ではどうでしょう?。
   曹洞宗では、何処で坐禅をしたかではなく、誰のもと(正師)で坐禅をしたかを大事にしています。例えば、絵画を見る、あるいは音楽を聴く。それに置き換えてみますと、何を聞いたか何を見たかではなくて、誰と見たか誰と聞いたかを大事にしなさいと言うわけです。正師に随侍して行住坐臥(ぎょうじゅうざが)をともにする。すると正師の生き方、悟りに薫習され啓発されて私も正しい生き方を歩めるようになる。これが禅の教えのような気がいたします。
   私はしがない売僧(まいす)(※意味は辞書で調べてください。)ですが、皆様の正師と頼れる禅僧を紹介することなら出来ます。また、時において正師となるパートナーと出会えた人は人生の幸せ者と言えるでしょう。
   長泉寺の蓮もこれから日毎に蕾が膨らみ、水面に大きな花を咲かせる季節となります。どうぞお寺に足を運んでいただき、ひととき静かな心になって坐禅の中で自己を見つめて欲しいと思います。お待ちしております。失礼いたしました。



長泉寺住職
奥野 成賢

平成27年6月3日(山を愛する人・・・

   おはようございます
   先日、長泉寺のお檀家様をお連れして出雲大社他山陰の旅を2泊3日で旅行してまいりました。飛行機に乗って座席のフリーペーパーを開いてみましたら、牧野富太郎さんの特集がされておりました。
   ご存じのように牧野富太郎先生は高知県生まれで日本を代表する植物学者、または植物分類学者と言った方が良いのかもしれませんが、とにかく子供の頃から野山を歩くのが大好きで一日寝そべって花や植物を眺めていたそうです。そういうこともあったためでしょうか、小学校を中退をして、その後は独学で素晴らしい植物学の大先生になったわけです。
   道元禅師の言葉に「山を愛する人は山に愛される」、そう言う意味の言葉がありますが、牧野先生もおそらく野山草花を愛し、野山草花から愛された先生に違いないと思います。


   ところでご周知の通り、現在国会では衆議院安全法制特別委員会において集団的自衛権など安全保障関連法案の審議が取り行われています。与党野党、喧喧諤諤の論争が繰り広げられているようです。
   さて、「世界の平和を論ずるためにはまず家庭を平和にすることが大切です」などとこの委員会でお話をするものなら、なんと間抜けなことを言っているのだろうと笑われるのでしょうか・・・。

   先の大戦では、僧侶など我が国の仏教者の方々が戦争に加担したということで仏教者の戦争責任について様々な研究がなされましたが、その研究の成果は一体現在どうなっているのか?と自分自身を省みることがあります。それは、私は現在憲法9条を守る会の会員になっており、末席とは言え、名を連ねているだけで平和実現のため何もしない自分自身を少し後ろめたく思っているからです。
   ここで話をまた前に戻しますが、祖国を愛する人は祖国から愛され、また同時に他国を愛する人は他国からも愛される。そのような考えで、世界平和の議論を積み重ねる国会、世の中になって欲しいなと思っています。



長泉寺住職
奥野 成賢

平成27年5月20日(おむすび

   おはようございます
   能登の大本山総持寺祖院、金沢の大乗寺、富山市の光厳寺とお寺の用件で歩いてまいりました。その時にコンビニのおむすびを求めて食べたのですが、値段はこれまでと同じだと思いますが、おむすびの大きさが随分と小さくなったのに驚いてしまいました。これでは3個も食べないと力が出ないと苦笑しました。
   さて明日は幼稚園の遠足です。子供たちがお父さんお母さんと一緒に仙台の「八木山動物園」や「みちのく杜の湖畔公園」に遠足に出かけます。
   お弁当の人気者はやはりお母さんが作ったおむすびです。けれども大学生などは「お母さんが作ったおむすびは不潔で嫌だ、機械で出来たコンビニのおむすびの方が美味しい」。そう言う声が聞かれるのだそうでこれにも驚いてしまいました。
   ご葬儀で、亡くなったおばあちゃんを見送る子供あるいはお孫さんがお別れの言葉や思い出のお話をすることがよくあります。そのお話の中でおばあちゃんの思い出として一番にあげるのは「学校からお腹をすかして帰って来た時におばあちゃんが作ってくれたおむすびが美味しかった。味噌をつけたおむすびがとてもおいしかった」と、お話をするお子さんやお孫さんが多くいます。その時に私は「そうだね、けれどもおばあちゃんはその手が汚れていたかもしれないと思い、一番最初に作ったおむすびは君たちにはあげなかったんだよ。そしてもう一度手を洗って二番目に作ったおむすびを君たちにあげたんだよ」と言うお話をします。
   すると、子供たちはエッと驚きます。このようにお母さんやおばあちゃんも小さな子供さんに食べさせてあげるおむすびにはやはり見えないところで清潔に気を使っていたことを思い出してほしいと思います。

   来月は宮城県の6.12防災訓練があります。その時も炊き出しのお母さんおばあちゃん方はマスクをし三角巾をかぶりそしてナイロンでできた調理用の手袋を手にはめておむすびを作ります。それは訓練だから致し方ない事かもしれませんが、とっさの場合はそのようなものがなくても、手そのもので握り締めてくれるおむすびはどんなにか美味しく心の支えになると思います。
   一つのおむすびに込められた色々な思い出を、以前自転車で全国を歩いている火野正平さんのテレビで見ました。『女の子が小さかった時に山に遠足に出かけることになりました。お母さんがいないのでお父さんはお昼の時間にお弁当を届ける約束をしたのだけれど頂上についてもその女の子にはお弁当が届きません。泣きそうになり、心配していると、ハアハア息を切らしてお父さんが駆け上がって来た。そしてみんなとはちょっと離れたところでお父さんと2人でお父さんが作ってくれたおむすびを食べた』という話の番組でした。いいお父さんだなぁと私はちょっと涙ぐみました。


   千日回峰行といって野山を千日間も駆けめぐる荒行がありますが、その修行僧の命を支えるものは一日たった2個のおむすびだけだそうです。千日回峰行に立ち向かう修行僧を応援する台所当番僧のガンバレという心の支えの魂がそのおむすびにギュッと詰まっているからでしょう。
   おむすびに関するお話をさせていただきました。失礼いたします。



長泉寺住職


奥野 成賢

平成27年5月10日(五月病

   皆さんこんにちは
   文章を書くのが苦手で長い間ご無沙汰をいたし、前回の文章を載せてから二ヶ月も経ってしまいました。年度末、年度始め、いろいろな事があって、なかなか筆を持つ意欲が湧かなかったと言ってしまえばそれまでですが、本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません。
   今日は幼稚園の話をさせていただきたいと思います。4月に入園をした子供達がご両親の元を離れ、ようやく幼稚園の生活に慣れたところに連休が入りますと、子供達はまた甘やかされる家庭生活に戻れるという訳で連休後、登園を渋ったり泣いて登園をするお子さんが多くなってしまいます。
   小さい幼児が親元を離れて初めて経験する集団生活の場、そこが幼稚園ですから、幼児が不安になるのも当然です。これはお家、特にお母さんが恋しくて泣くとばかり私は思っておりましたが、そうばかりではないという事をこの頃初めて知りました。
   それは、私が幼稚園に行くとお母さんは「幼稚園でどんな事をしてるのかな?一人で大丈夫かな?」と心配になる。私がいないことで不安になっているお母さんのことを思うと、子どもは逆にお母さんのことが心配になってしまって泣いてしまう、こういう子供もいるのだという事が最近わかりました。
   ですから、おうちの方にはまた登園を渋るのではないか、幼稚園で泣くのでないか、駄々をこねるのではないかと心配顔で幼児を幼稚園に送り出すのではなく、「あなたがお母さんを頼らず自分の力で幼稚園に行ってくれるのは嬉しいよー」と笑顔で送り出して欲しいとお願いをするのですが、やはりお母さん方は心が表情に出てしまって心配顔で送り出す方が多いようです。泣く子の親御さんの方がどうも子離れが苦手のようです。


   このように、私たちがこうではないかと思っていることが、実はそうではないことが世の中にはたくさんあるものです。
   例えば、様々な理由で部屋に閉じこもっている、所謂、引きこもりの子供達にしても自分の思いだけでどうしてなのかな?と考えがちになりますが、もうちょっと相手の身と心に寄り添って見方を変えるということが大事なのだなと思っています。
   5月は五月病という環境不適応による精神的不安定状態の病気が起こる時季と昔の人は言っておりましたが、それらも見方を変えれば単なる五月病というものではないかもしれません。
   さて、私の住む角田の山や森は新緑の季節を迎えたというのにポツポツとまるで円形脱毛症のように木々が失われています。震災復興のために山を切り崩し、山土をかさ上げ工事のための盛り土にしているからです。震災復旧のためとは言え、この光景は私の心を五月病にさせる何とも残念な光景です。失礼いたしました。



長泉寺住職


奥野 成賢

平成27年3月11日(3月11日

   おはようございます。
   今日3月11日は東日本大震災発生の日で、あれからもう4年、数多くの方が犠牲となり、そしてまた数多くの方々が行方不明のまま今も見つかっておりません。まことにその衝撃は私たちの心に深く残り、悲しみは今もこれからもずっと消えることはありません。
   宮城県ではこの日を「みやぎ鎮魂の日」と定め、各地各方面で哀悼の誠を捧げております。当長泉寺でもご供養をもうしあげ、多くの犠牲の方々に改めて慰霊の誠を捧げました。
   さて先般、長泉寺のお檀家の方で震災の犠牲になられた方のご遺体が3年10ヶ月目で発見され、ご葬儀をさせていただきました。ご家族の様の心の中には、震災でもう娘は生きてはいないだろうなという諦めの気持ちも少なからずあったと思いますが、結局ご遺族の方々は遺骨が発見された日をご命日と定められました。震災に遭遇したとしてもどこかできっと生きているにちがいない、そういうご自分のお気持ちが発見日を死亡推定のご命日と決めたことに託されたような気持ちがいたします。


   「天災は忘れたことにやってくる」とか「災難のときには災難に遭うがよろしい」(良寛)のお言葉もありますけれど、真意はともかく、被災された方々には何の意味もなく、むしろ腹立たしくさえ思えるにちがいありません。悲苦の現実を受入、折り合いをつけるのは自分自身でしかできません。それに私たち支援する者がいかに手を差しのべるかが大切なのであり、いろいろな手立てで救われるという事はなかなか難しいことだろうと思います。

   悲しい出来事を決して忘れぬよう深く心に刻み、被災された方々との「縁」をつなぎ続けること、これが最も肝要なことと信じます。

長泉寺住職

奥野 成賢

平成27年3月1日(その一言

   おはようございます。
   東京に出かけると驚くことが多いです。先日も所用のため東京に出かけ、山手線や都バスに乗ってふと中吊り広告を見ましたら、生きている人間のためのマンションの広告より亡くなった方々を納骨するマンション型霊園の広告が圧倒的に多くて本当に驚いてしまいました。
   マンションというビルは永久的に建っているわけでもないでしょうからビルが無くなったらこの納めたお遺骨は一体どうなるのかな、そんな疑問の目で広告を眺めておりました。企業人はいろいろなことを考えるものです。
   すると、ある学園の入学案内の広告が目に留まりました。その広告の中に、次のような言葉が書いてありこれを読んでまた驚きました。「その一言」という言葉です。その一言で励まされ、その一言で夢を持ち、その一言で腹が立ち、その一言でがっかりし、その一言で泣かされる、ほんのわずかな一言が、不思議に大きな力持つ、ほんの一寸の一言で、というものでした。
   あれ!?と思いました。と言うのは山田洋次監督の大ヒット作映画「フーテンの寅さん」の舞台となる団子屋さんの「とらや」、その電話の上に中国のある僧侶の言葉よりという小さな貼り紙があって、映画好きの方なら誰も気づかれる言葉ですが、その貼り紙の言葉を思い出したからです。文言は次のようなものです。


   言葉は心。一つの言葉で喧嘩して、一つの言葉で仲直り、一つの言葉で頭がさがり、一つの言葉で笑いあい、一つの言葉で泣かされる、中国のある僧侶の言葉より


   募集広告とフーテンの寅さん、この二つの言葉がすごく似ており、私はフームと思いました。早速帰りまして調べてみたところ、この学園のほうの言葉は1966年の4月1日に学園の創始者がお作りになられて、学園の入り口の記念碑彫られてあるということがわかりました。

   フーテンの寅さんのほうは「中国のある僧侶の言葉より」となっておりますので、なんとなく古いような気がいたします。まあ似通っているだけで二つのこの言葉には関係がないのかもしれませんが、私は何となく、いまも不思議な気持ちでおります。

   また、この中国のある僧侶の言葉とありますが、一体どのお坊さんの言葉であるか調べてみたのですけれど、私には出典がわかりませんでした。ともあれ、この中国のお坊さんの言葉を私は大きく書いて幼稚園の先生方に1枚ずつ配り、お部屋に貼って保育の心構えの一つとさせています。


   なお、今日の私の話に関連して、臨済宗妙心寺派實相寺公式サイトに、「ひとつの言葉で喧嘩して」があります。参考にどうぞ・・・。

長泉寺住職

奥野 成賢

平成27年2月17日(メガネ

   おはようございます。
   最近、とみに視力が低下して困っております。先日検診をいたしました。今までは左右眼鏡を使用して1.0と1.0でした。ところが、今回は左目だけが0.6まで低下して非常に驚き、自分もがっかりしております。さっそく眼鏡を新調と言うことになったわけですけれど、実は昨年の春からこれで三度も眼鏡を取り替える羽目になっているのです。
   視力が低下していちばん困るのはお風呂に入った時です。お風呂にあるボトルに入ったシャンプーとかリンスとか、そういうもの、もちろん私は頭を剃っておりますのでリンスなどには縁がありませんが、そのボトルに表示されている字を読むことができません。眼鏡をかけて入浴される方もいらっしゃるかもしれませんが、大体は眼鏡を外してからお風呂に入るのではないでしょうか?。ですからこのボトルにいったい何が入っているのかわからないと言うことで苦労します。
   それから、まあいわば色々なそういう小さな字、これが読めなくなってきて、目に老人に優しい表記とか言う言葉が本当に身にしみて感じられるようになりました。


   僧堂においては、これは節電というか何と表現したらいいかうまく言葉で言い表せませんが、とにかく照明が暗いです。御本山では3時あるいは3時半に起きて暁天坐禅に参りますけれど、本当に暗くて長い廊下を歩きます。また坐禅堂も暗く、暁天坐禅が終わり、ご本堂で朝課のお勤めをする場合の照明もなかなか薄暗い状態で、そういう環境に慣れているものですから修行僧にとりましては、世の中はうすぼんやりした明かりというのが当たり前だと思えて来ます。
   けれども、若い修行僧にも眼鏡を多く使う人が増えてきました。そしてフレームですけれど、仏様には金属は無礼に当たると言う理由で、例えば永平寺では黒いプラスチックのフレームの眼鏡を使うことが定番になって居るようです。

   方丈さん照明を明るくした方が眼鏡の度をアップするよりも効果がありますよと、どこの眼鏡屋さんでも御指導いただくわけですが、それがかなわない私ども修行僧にとりましては度数を高くするしか方法はないと言う悲しい立場の人間になってしまいました。

   さて、童謡に「トンボのメガネは水色メガネ。青いお空を飛んだから~」と言う美しい歌詞の歌がありますが、先入観や偏見によって人や物事を見るステレオタイプの色メガネだけはかけまいと誓っています。

   失礼致しました。

長泉寺住職

奥野 成賢

平成27年2月6日(課題

   おはようございます。
   先日の2月1日の豆まきには雪で足元の悪い中、親子約350人の方々がお集まり頂き、盛大な豆まきが行われ大変嬉しく感謝をしております。
   当初は戸外で豆をまく予定でおりましたが、雪が降り積もっておりましたので急遽本堂の中で、まぁ芋洗い状態の中で賑やかに、賑やかというよりもなんか入り乱れて年男様も豆を拾う子供たちもわけがわからないうちに豆まきが終わってしまいました。ともあれ今年1年健康で無事で良い年であるように願いたいと改めて思っています。
   さて、名古屋で年老いた女性を未成年の若い女子学生が殺害をしてしまうという悲しい事件がおきました。新聞によりますと、この加害者の女性は子供の頃から人を殺してみたかったという願望を持っていたということです。殺人事件は言うまでもなく、この報道は、私たちにいっそう衝撃を与えたニュースでした。
   そこで、幼稚園の先生方にレポートを提出するよう課題を与えました。それは子供から「なぜ人を殺してはいけないの?」と質問されたら一体どう答えるかということです。
   このような質問を大人にいたしますと、まぁほとんどの大人は次のような行動を取ります。

   つまり、その問いにふさわしい適当な答えがどこかに書いていないかとまず本を調べたり、あるいはパソコンを開いて検索をして他人様がどのような答えをその時にはするのだろうかということを探します。そしてその中に自分の考えと合った、あるいは書かれた人の考えにギリギリ納得をて、同調出来る答えが見つかりますと、あたかもそれが自分の考えであるかのようにして子供に返答するということをします。

   けれども、それでは子どもの心にはきちんと届かないと思います。当たり前です。借りてきた考えですから子どもに納得させる迫力がありません。間違っていてもいいから、自分が生きているこの時間、今まで生きてきてこれまで培ったまた経験や考えを下にして自分の考えできちんと子供に相対する、こういう姿勢が大事だと思います。

   正しいもっともらしい事を答えるというよりも正面から子供の心にぶつかっていくそういう親の視線が子供にとっては嬉しいもの信じられるものだと確信します。

   さあ、なたなら「一体なぜ人を殺してはいけないの?」それに対してどう答えるでしょうか。一人一人の課題として今回のニュースを見てほしいと思います。
   失礼致しました。



長泉寺住職

奥野 成賢

平成27年1月23日(長泉寺の節分)

   おはようございます。
   お正月だからというわけではございませんが、今日はお許しをいただいて少しエッチ?なお話をさせていただきます。


   これは今から20年ほど前のことだったでしょうか、吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)という出版社から毎月出版されている『日本歴史』の、ある年の1月号研究余録に「姫はじめ」と言う文章が載りました。
   これはお正月になって最初に男女が同衾(どうきん)する、つまり肉体関係を持つ、そのことについて歴史的資料をもとにして研究された文章でございまして、「姫はじめ」の日は古来より1月2日に決められている神聖な儀式であるということをいろいろな歴史書をひもといて述べられたありがたい論文でございました。


   この文章を読みまして、私は世の中にはこのような貴重な研究を真面目にされている学者さんもいるのだと非常に嬉しく、頼もしく思いました。ところがそれを私はうっかり、何年の1月号に載っていたか忘れてしまいました。ですから、そのご研究をここで改めて皆さんに紹介することができません。今はパソコンの時代ですから、ご興味のある方はお調べになって、詳しくご覧になっていただくとよろしいかと思います。


   さて間もなく節分がやってまいりますが、長泉寺の節分はいつの頃からかわかりませんが、年男の方々が各自スリコギを両手でもちまして福男が「福は内、鬼は外!」と掛け声をかけながら福豆を撒いた後に、「ごもっとも!」と大声に叫びながらそのスリコギを、豆を拾わんとする人(特に女性)の股間に押し当てるという奇祭が伝わっております。

   この「ごもっとも様」と言う長泉寺の節分の風景はテレビでこれまでも何回も放送され当地でも有名になっています。この風習は秩父の三峯神社に伝わっている奇習だということを後に知り、三峯神社の節分では、そのスリコギを大事そうに厳かに天に向けて捧げ上げるように「ごもっとも!」と大声に奏上し、五穀豊穣を祈っている姿がNHKで放送され深い感動を覚えました。

   鬼は外と言って豆をまき、その豆をぽりぽりと食べるだけの現代的な豆まきとは異なり、むかしの節分には身近にある様々な疫病を追い払い、今年も稔りの多い年になるようにという切実な現実的願いと子孫繁栄がその行事に込められており、その熱い心を感じます。

   さて、今年の長泉寺の節分豆まきは、2月1日、日曜日の夕方4時からです。本来であれば節分当日に行うのが当然ですが、子供たちのため、集まりやすい日曜日の午後に節分の意味を、お話をしながら行事を実施しているわけです。

   どうぞ皆様も多数お越しいただき、今年の厄落とし、五穀豊穣、子孫繁栄を祈願していただきたいと思います。
   お菓子等もたくさん用意しております。お待ちしております。





長泉寺住職

奥野 成賢

平成27年1月8日(長泉寺の朝)

   おはようございます
   禅宗のお寺ではまず起きて坐禅です。その坐禅をする前に、行香と言って諸堂にお祀りする仏様にお線香をあげてご挨拶をし、そして最後に坐禅堂に入り、文殊様(聖僧様)にお香をお供えして、坐禅をさせていただく「行」を勤めています。

   そこで長泉寺では毎朝どのようにして、行香をしているかを今日はご紹介致します。

   DSC00238.jpgまず最初に護法韋駄尊天さん。俗に言う韋駄天さんとは仏法伽藍守護の仏様です。かまど(竈)もお護りをいたしますので火消装束のような鎧を着た勇ましい格好をした仏様です。



   DSC00212.jpg続きましておトイレですね「東司(とうす)」と呼ばれています。
東司の仏様、烏枢沙摩明王様にご挨拶をします。数年前に「トイレの神様」という歌が流行りましたが、いわばこれはトイレの仏様ということですね。

   DSC00242.jpgその次に御開山様・開山堂に赴き長泉寺を開かれた即庵宗覚禅師様その他歴代のご住職様に上香三拝してご挨拶をします。そしてご本堂にまいります。




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   そこで上香三拝をし、それから坐禅堂に入り文殊様にまた上香三拝していよいよ坐禅となります。で、朝5時40分に坐禅が放禅いたします。

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   1人のお坊さんは6時の梵鐘を撞きに参り、残った私が朝のお勤め、いわゆる朝課(読経)をいたします。
   DSCN4507.jpg朝課がすんだら、「戦没者慰霊塔」そして伊具地区三十三観音の一つ(第31番)である「十一面観世音菩薩」(一体は伝来のもの、もう一体は篤信の神尾様からご寄進賜った十一面観世音菩薩)にお参りをいたします。

DSCN4512.jpgDSCN4511.jpg

   その次に、本年中に亡くなられた方々の白木のご位牌が並んでいる新亡精霊の位牌壇。戻って、今度は玄関のところにあるもう1体の韋駄天様に参り、「般若心経」をお唱えして今日一日の無事をお祈りいたします。

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DSCN4519.jpg    最後に丈室と言って住職の部屋ですが、そこにもお仏壇(内仏)がありますのでお線香を立て三拝し、読経をいたします。以上が大凡毎朝の流れです。
   このような毎朝のお寺の生活は、他人様から見ればせわしなく面倒な事かもしれませんが、私どもにとってはそれが身についた日々の生活になっており何の不自由も感じていません。朝4時50分起床、6時40分頃までの長泉寺の日常です。ありがとうございました。




長泉寺住職
奥野 成賢

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